私が子供時代を過ごした昭和40年代はまだまだ「権威」や「権力」は普通に尊重されていて、
「いずれ博士か大臣か」などという諺が子供に対する褒め言葉として使われていた時代です。
ところが今では「博士」は食えない専門職の代表みたいになっていますし、「大臣」に至っては無能と悪の象徴と言ってもいい状態です。
これは社会の仕組みがそうさせてしまった面はあるのですが、やはり教育の責任が大きいと思います。
そもそも科学というものは「知らない」という事から出発して研究をするわけで、
であれば「知っている」となった段階で学者としては終わっているわけです。
現在コロナ対策でマスコミに登場する「博士」達は皆「知っている」と思っている人達ばかりに感じます。
「知っている」からもうこれ以上知ろうとはしない人達です。
現実がどうであろうと自分が「知っている」世界から一歩も出ようとしません。
絶望的ですね。
「大臣」もそうです。我々戦後世代は学校で「公の精神」的なことを教わることなく来てしまいました。
「公の精神」とは、仏教で例えれば「利他」の様なものです。
私利私欲を脇に置いてでも、世のため人の為に何事かを為す姿勢とでも言いましょうか。
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の世界です。
こうした利他の精神こそが政治家に必要なものだと思うのですが、
今の国政レベルの政治家はほとんどが二世や三世の政治家です。
彼らには家業(政治家であり続ける事)を守り同じ仕事を自分の息子や娘に引き継ぐごとしか頭にありません。
判断の基準がそれなので、いざ今回のコロナ騒動の様にイレギュラーな事が起こると全く役に立ちません。
すでに色々な情報・経験が蓄積されているにもかかわらず「とにかくワクチンを打ちましょう」「人流を抑制しましょう」から一歩も出られません。
かつては最も尊敬されていた「博士」と「大臣」の皆さんに任せてこの有様です。
勿論マスコミのひどさは言うに待たずです。
今の我々の社会は、もしこのままマスコミや政治家のレベルを超えられなければ滅んでいくのではないでしょうか。
文明が崩壊すると言ってもいいと思います。
しかし多くの人がバカな「権威」や「権力」に気付いてくれさえすれば、まだ何とかなると思いたい…。
そんなギリギリの瀬戸際に社会は立たされていると感じます。
さてさて、何はともあれ美味しいご飯があればそれで幸せ。すてきな一日に乾杯。
◎新ジャガのチキンコロッケ
◎グリーンサラダ