宗教の役割が終わった時代に

このブログで時々紹介している「大日月地神示」に偶像を拝むなと繰り返し出てきます。
イスラム教では偶像崇拝は禁止されていますが、仏教やカトリックなどはまさに偶像崇拝の宗教と言ってもいいかもしれません。
個人的には美術品としての仏像は大好きですが、仏像そのものに何かしら神秘的なチカラがあるとは思っていません。
では一体何を拝むのかというと、「大日月地神示」には自然であったり地球であったり森羅万象を拝めと書かれています。
もうこれからの世の中に宗教は必要ないとも書かれていまして、この感覚は私が個人的に感じている感覚とも一致していてしっくりきます。
宗教についてかかれた部分を一部抜粋してご紹介します。

(以下抜粋)
「宗教界が変わるのぞ。元の教えと異なるゆえ、元の真の教えに戻すのぞ。取って付けたような可笑しな教えは、その内みな無くなりますぞ。偽りの教えは、消えゆく因果でありますのじゃ。世は真の教えで、立て替え立て直しいたして参りますのじゃ。出所の分からんいかさまの教えは、気づいたお人から怖れずに早う捨てなされよ。
そなたは何者に捧げ物いたしておるのじゃ。そなたは何神さまに貢ぎ物いたしておりますのじゃ。良いか、真の神々様も善なる靈団靈人様方も、金や物、まして人や獣らの命など、ひとつも要求はせんのでありますぞ。交換条件なくとも、誰彼に分からんでも、人々の真喜びのためのお働きなさる真善なるものでありますぞ。ご利益の交換条件として、人民に何かを要求するのは、悪魔であり魔の僕となりた靈団靈人らの、靈性低き御魂の類いでありますぞ。真の教え伝える靈団靈人は、大切な人民らに対し、地に頭つけひれ伏せとは申さんのぞ。儀式儀礼重んじて善悪上下格付けし、教義に縛り付けたりせんのでありますぞ。世に出ておる世界中の宗教教団、人民洗脳いたし縛りて僕とし、金儲け物儲け人儲けの数々。祭壇、偶像拝ませ、悪魔の儀式の真似事いたしておりますが、早うお止め下されよ。元の教祖らが嘆いておりますぞ。決められた物を、決められた時、決められたように人民拝まねばならんと申す教えは、皆々邪靈邪教の真似事でありますぞ。(ここまで)

いかがでしょうか。現代の宗教が抱える問題点をかなりストレートに指摘していると思いますし、最近話題のカルト教団などまさにこうした類いの宗教ではないかと思います。
古くからのメジャーな宗教も、今ではここに書かれた特徴を全て内包していると思います。
宗教が広く世間に定着していく過程で、それをビジネスにしてしまった人達が少なからずいて、結果こうなってしまったのかなとも思います。
今は世界の秩序であったり社会の根本的な在り方が大きく変わろうとしている時です。
大変な時代に生まれてしまったと思いますが、乗り切っていくしかありません。
今あるシステムが壊れて後に現れる新しい世界が、素晴らしい世界であることを願ってやみません。

「宗教・スピリチュアル」

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さてさて、何はともあれ美味しいご飯があればそれで幸せ。すてきな一日に乾杯。

◎カラスカレイの煮付け
◎じゃこおろし
◎枝豆
 
 


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