幸せの種類

「面白き こともなき世を面白く 住みなすものは 心なりけり」
高杉晋作の句と言われていますが、私は司馬遼太郎さんの明治維新関連の著作で初めて知りました。
司馬遼太郎さんと言えば、私にとって「竜馬がゆく」などはもうまさに寝食を忘れて読みふけるといった読み方をした最初の本で、未だにこれ以上にワクワクさせられた本に出会っていないと思うほど好きな本です。
タイトルに使われている「坂本龍馬」の名前が「竜馬」となっている事からも分かるとおり、あくまで小説でありフィクションと分かっているのですが、それが本当の歴史であったのだと信じて疑わないほどのリアリティーを持って心に迫ってくる名作だと思います。
と、まあこんな書き出しになってしまったのは何も司馬遼太郎さんの宣伝をしたいのではなく、このお正月休みの間にしみじみと考えた「人の幸せ」について今日は書きたいと思ったからです。
冒頭に高杉晋作の有名な句を載せたのも、「幸せ」について考えるときにいつもこのフレーズが頭に浮かんで来るからです。

私はもう50をとうに過ぎていますが、今の世の中の価値観で見れば幸せには見えないかもしれません。
理由は「肩書き」「お金」も、それどころか「過去の栄光」さえも持ちあわせていないからです。
実際に自分自身でも、自分の事を「幸せ者」だと思えた瞬間は少なかったかもしれません。
ただ、幸いなことに不幸だとも考えませんでした。
不幸だと考えずにすんだのは、生来の楽天的な性格のおかげとしか言えませんが、
今改めて自分の人生を客観的に俯瞰して見ますと、そうとう危なっかしく見える人生をここまで過ごしてきました。
自分で商売をやって小さな成功体験もしましたが、大きな挫折も経験しました。
長年苦労して手に入れた物質的な豊かさも、あっと言う間に文字通り全て失う経験もしました。
そんなこんなで自暴自棄になり、自分が生きていかなければならない理由をどうしても見いだせない時期も経験しました。
そんな嵐もどうにかやり過ごし、それでも生きていくしかないと悟ったときに思った事が、「幸せ」は人と比べることでは無かったんだという事です。
つまり「幸せ」とは相対的なものではなく、一人一人の心の中に絶対的に最初から有る物なんだと気付きました。
その気付きが、つまり冒頭の高杉晋作の句に繋がるのですが、そんな事は何も今更書かなくてもこの句を知ったときからずっと分かっていた積もりだったんです。
しかしその「分かっている」度合いが、やはり歳と共に深くなるんですね。
それが経験であり人生であるのだなとしみじみと思う今日この頃です。

「宗教・スピリチュアル」

さてさて、何はともあれ美味しいご飯があればそれで幸せ。すてきな一日に乾杯。

◎ソース焼きそば
◎グリーンのサラダ
 
 
 


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