日月神事に予言されたディストピア

最近はご多分に漏れず自宅で過ごす時間が多くなりまして、そのせいもあるのですがこのブログでも時々話題にする「日月神事(ひつきしんじ)」を読み返す機会が増えました。
スピリチュアル好きの間では大変有名な書物ですのでここではこの神事について詳しく説明はしませんが、出口王仁三郎の「大本教」の流れを汲むメッセージと言われています。
今日はその「日月神事」から今のコロナウィルスが蔓延する社会を彷彿とさせる部分を引用してご紹介します。
ところで「日月神事」には○(丸)の真ん中にゝ(点)を書き入れた記号のような文字(⦿みたいな文字)が頻繁に出てきまして、
それぞれ出てくる場所によって読ませ方が微妙に違うのですが、多くは「神」と読ませます。
以下引用です。

〈第七巻・日の出の巻・第十二帖〉
日に日に厳しくなりて来ると申してありたこと始まっているのであるぞ、まだまだ烈しくなってどうしたらよいかわからなくなり、あちらへウロウロ、こちらへウロウロ、頼るところも着る物も、住む家も食う物もなくなる世に迫って来るのぞ。それぞれにメグリだけのことはせなならんのであるぞ、早い改心はその日から持ち切れないほどの神徳与えて、嬉し嬉しにしてやるぞ、寂しくなったら訪ねて御座れと申してあろがな、洗濯次第でどんな神徳でもやるぞ、⦿は御蔭やりたくてウズウズしているのざぞ、今の世の様見てもまだわからんか。神と獣とに分けると申してあろが、早うこの神示(ふで)読み聞かして、一人でも多く救けてくれよ。十二月十二日、ひつ九のか三。

引用ここまで。
どうでしょう。今のコロナが蔓延する世界をなんだか連想させないでしょうか。
最後の方の「神と獣に分けると申してあろが」というくだりは中々意味深でスピリチュアル好きの想像力をかきたてます。
もう一カ所同じ日の出の巻から引用します。

〈第七巻・日の出の巻・第六帖〉
神界のことは人間には見当取れんのであるぞ、学でいくら極めようとてわかりはせんのざぞ、学も無くてはならぬが、囚われると悪となるのざぞ、下の神々様には現界のことはわかりはせんのざぞ、わからぬ神々に使われている肉体、気の毒なから身魂磨けとくどう申しているのざぞ。三、四月に気つけてくれよ、どえらいこと出来るから、どうしても磨いておいて下されよ、それまでに型しておいてくれよ。十二月五日、ひつ九のか三。

今まさに四月なんですが、確かにどえらいことになってます。
最後の方に「それまでに型しておいて…」というくだりがありますが、これは大本教で言われる「雛形経綸」の流れで出てきた事だと思います。
大本に起こったことはやがて日本でも起こりさらにそれが世界に転写されていくという「雛形経綸」です。
個人的には今起こっている事は、19世紀以降続いてきた西欧文明が世界を席巻した時代の終焉の始まりだと思っています。
それが単なる文明の移り変わり程度の事で済むのか、それとも全てが一度消えて無くなるほどの終わりの始まりなのか…。
「日月神事」読めば読むほど色々考えさせられる今日この頃です。
「宗教・スピリチュアル」

さてさて、何はともあれ美味しいご飯があればそれで幸せ。すてきな一日に乾杯。

◎アサリとベーコンと春キャベツのパスタ
◎ブロッコリーサラダ
 
 
 


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