重い話し「死にたくなった時は」

人間長く生きていれば死にたくなることの一回や二回は必ずあるもんです。
私の場合ですと、最初に死にたいなと思ったのは小学生の時でした。
当時の私は重い小児ぜんそくを患っていて1〜2ヶ月に1回程度はひどい発作を起こしていました。
一度発作を起こすと学校をしばらく休むことになります。
それで次に学校に行ったときに周りに上手く溶け込んでいけなかったんです。
田舎の少人数の学校でしたから1学年1クラスしかありません。
そんな状況で一度居場所を失うと何処にも逃げ場所がなかったんだと思います。
自宅のガレージの天井を見ながら首をつる方法を具体的に考えていたのを今でも覚えています。

次に死にたくなったのは事業に行き詰まり自宅を手放すことになった頃からの数年間です。
自己紹介」でも書きましたが、商売が行き詰まったときにたまたま田舎で一人暮らしをしていた父の体調が悪くなり、私が単身で介護の為に実家に戻った時期がありました。
その時には、父を看取ったらそのまま自分も死ぬつもりで実家に戻りました。とりあえず両親よりも先に死ななければ最低限許される気がしていたんです。
そんな気持ちですから仕事にも熱が入りません。売上はどんどん下がってゆき、ただ毎日無気力に過ごすだけの日々でした。
ところがある日過疎の田舎の村に事件が起こりました。私の実家のすぐ近くに住んでいた40代の男性が自殺してしまったんです。
この男性、見た目は風采の上がらない感じだったんですが、なぜか村一番の美人の嫁さんをもらって三人の子だからにも恵まれ、何不自由ない生活をしているように傍目には見えていました。自殺の原因は知らされていないので知りません。

ところで、田舎の村では地域の繋がりがうんと強いので、近所の方が亡くなるとお葬式やお通夜の手伝いを近隣の皆でします。
その打ち合わせを何処でするかと言いますと、亡くなった方の家に集まって何とご遺体の横でご遺族と一緒に相談します。
この男性が亡くなった日の翌日、私もお手伝いの相談に男性宅に伺いました。
そうして話しが進む中で、亡くなった男性の3人のお子さんが皆の前で挨拶をしたんです。
今日は忙しい中集まって下さりありがとうといった内容だったと記憶してます。
深い悲しみの中、茫然自失状態であって当然なのに、きちんと挨拶をされました。
それに続いて奥さんも、そして奥さんには姑さんにあたるお母さんも同じく挨拶をされました。
この時の感情を、私は今でもハッキリと覚えています。
とにかく無性に腹が立ったんです。腹が立って腹が立ってすぐ目の前にあるご遺体に殴りかかりたい気持ちでした。
それからすぐに浮かんできたのが、「あぁ、死んだらダメだ。自殺はダメだ。」という感情です。
感情なので理屈はありません。とにかく自殺はダメだという感情が強く心にわき起こりました。
この経験があって半年ほど後に、父が亡くなりました。もうその時には父の後を追って自分も死のうとは思っていませんでした。

それから現在まで数年の歳月が流れました。その後、人生の状況が好転することもないどころか、更に失敗を重ねて現在に至っています。
でも死のうとは思わなくなりました。自分で勝手に死ぬことがいかに馬鹿なことか悟ってしまったからです。
この悟りは理屈ではありませんから説明しづらいのですが間違ってはないと思います。
実は先に書いた出来事があってから現在までの間にもう一回、もっと近い関係の人が同じように亡くなりました。
その時も心にわき上がってきた感情はやはり怒りでした。やるせない怒りと悲しみです。

私は輪廻転生を信じています。ですからそれぞれの人生で、人は必ず学ぶべき課題を持って生まれてきていると信じます。
と同時に、乗り越えられないような重い課題は与えられないとも思っています。
その時はどんなに絶望的に思えても、必ず克服できるだけのものを持って人は生まれてきたと、今は信じています。
天に命が召されるその時まで、人は生きていくしかないんだと思います。

さてさて、何はともあれ美味しいご飯があればそれで幸せ。すてきな一日に乾杯。

◎丸あじの塩焼き
◎細切り昆布と竹輪の煮物
◎さつまいもの甘煮
◎小松菜とカニかまの和え物

 


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