ここのところ世間は新型コロナウイルスのニュースで持ちきりですが、そんな中、季節は確実に春に向かって進んでいます。
人は何かしら自分の身に重大な不幸なり不運なりが降りかかったとき、その渦中にあるときは季節の移ろいなど感じる余裕はないと思いがちです。
しかし意外とそうでもないと自分の経験からしみじみと思います。
今日は私のそんな小さな体験談です。
自己紹介でも少し触れていますが、私は40代の頃に商売に躓き自宅マンションを手放したり借金取りに追われたりといった経験をしました。
今から思い返せばたいしたことではないのですが、渦中にあるときには一日一度は「死」のひと文字が頭をよぎるような毎日でした。
特に必死に守ってきた自宅マンションを手放した時は心底落ち込み自分の存在価値が全く見いだせない日々を経験しました。
ただ人間というのはうまいこと出来ていて、とことん落ち込む時期があっても、それがいつまでも続きません。
あるとき私は自宅近くのショッピングモール脇にある公園を一人歩いていました。
この公園は日々の買い物に出かける際には必ず通るような場所にありますので、その公園に咲く花は恐らく目にしていたはずです。
ところがその日、咲いていた花に気付くまで、私は全く花に気付きませんでした。
ただ落ち込んだ心を抱えて何も見えずにその場所を通過していたということです。
その花は、黄色いタンポポの花だったのですがふとした瞬間に突然目に飛び込んできました。
そしてその刹那、言葉では言い表せない何とも温かい感情が心の中に猛然とわき上がりました。
この時を境に、軽い鬱のような状態にあった心が少しずつ平常に戻っていきました。
だからというわけでもないのですが、私は春という季節がとても好きです。
私が育った兵庫県北部の山間は冬には必ず雪が降り積もります。
屋根に積もった雪が、早春の柔らかい光に暖められ屋根からすべり落ちる時、鳥が羽ばたくときに似た音がします。
これが私にとっての「雪解けの音」なんですが、この音を聞くようになると一気に春が近づいた気がしたものです。
沢筋にはふきのとうが雪の下から顔を出し、それからしばらくすると今度は道ばたに土筆が一斉に出始めます。
日当たりの良い土手などにワラビが沢山出る頃になると、もう春本番です。
小学生の頃の私は、この時期いつも学校から帰ると近くの山にワラビを摘みに出かけていました。
それを得意げに母に渡すと、母は必ず褒めてくれました。
春という季節は、これから何かが始まる予感に満ちた季節です。
本来なら夢と希望に満ちた季節です。
今世間を騒がせている諸々の事象が、このまま何事も無く収束しいつもの春が来ることを心から願ってやまない今日この頃です。
さてさて、何はともあれ美味しいご飯があればそれで幸せ。すてきな一日に乾杯。
◎赤魚の煮付け
◎ほうれん草の胡麻和え
◎豆腐の中華風スープ
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