苦楽を共にすると言うこと

「抜苦与楽(ばっくよらく)」という仏教用語があります。意味は読んで字の通りなのですが、我々凡夫はそのまま現世の苦楽のことをイメージします。しかし仏教では過去世や来世など輪廻の考え方が根底にありますので、ここでの「抜苦与楽」はそれら全てを含めての「抜苦与楽」という事になります。今ここでの行いが来世はもちろん、過去世にも影響を与えると考えるわけです。
つまり、過去でどんなに苦しいことがあったとしても、今この瞬間に幸せであれば過去の苦難も苦難でなくなるといったイメージでしょうか。
仏教に限らず、スピリチュアル系のメンター達も同じ様な事を本に書いたりしています。
例えば、今この瞬間幸せであることが、そのまま過去を祝福し未来を明るくするといった様な事を色々な人達が書いています。
確かに人は「今ここ」しか生きられないので、終わったことを悔やんでも仕方ないし先のことを心配しても仕方ありません。
さらに仏教が教えるように過去世や来世まで含めて考えるとなると、これはもう人智を超えた世界になってしまいます。
この考え方は当然「今ここ」を不幸だと考えた場合にも当てはまるわけで、現在の心が暗いものを引きずっていれば、当然過去も暗いものとなり未来も暗いものとなる理屈です。
上座部仏教の僧侶であるプラユキ・ナラテボー師によると、仏教では「無明」を苦の根本原因とみなすらしいですが、無明の原義は「見ないこと」だそうです。
つまり、あるがままの事実を見ようとせず、かってに解釈した事実に即さない物語をでっちあげ(妄想)、その妄想を何とかしようともがき苦しむと。
非常に個人的な事で恐縮ですが、つい数日前から私は長年連れ添った妻と別居をはじめました。
もう何年もタイミングを伺いながら考えてきた事なので、自分的には迷い無く家を出たのですが、
残された妻にとっては想定外の出来事で相当にショックだった様です。
先日、別居後初めて妻と今後の事について話し合ったのですが、妻は目の前の「苦」だけに心を奪われ過去の色々な事については考えが及ばないようでした。妻がナラテボー師の言う様に、「かってに解釈した事実に即さない物語をでっちあげ(妄想)、その妄想を何とかしようともがき苦しむ」状態にあるのかどうかは、当事者である私が判断することではありませんが、人間とはそうした生き物である事を自覚しているだけでも気持ちの部分で大きな違いが出てきます。
つまりそれが、宗教が存在する意味であり意義ではないのかと思います。

今般のコロナ禍でつくづく思ったのですが、人は人と濃厚に接触することが当たり前で、それを禁止されると大変なストレスを抱えることになると…。
今日のタイトルは「苦楽を共にすると言うこと」ですが、苦楽を共にするとは、普通より更に濃厚に関わると言うことです。
それがつまり、人と人との絆を深め、愛を育み、社会を繁栄させます。
今起こっている様々な出来事は、その真逆の方向に社会を誘導しているわけで、心ある人なら皆危うさや恐ろしさを感じていると思います。
私個人的には、このままの状態があと数年も続くようなら、今の文明は崩壊して人類は滅亡に近い状況になると思っています。
そうして、またはじめから人類としての進化をやり直すことになるのではないかと…。
ただ、そんな試練を与えたのも神の様な存在と考えるなら、私たちはこの試練を自覚的に乗り切っていくしかないのではないかと思う今日この頃です。

「宗教・スピリチュアル」

さてさて、何はともあれ美味しいご飯があればそれで幸せ。すてきな一日に乾杯。

◎ボイルドソーセージ
◎モズクとキュウリの酢の物
◎枝豆
 
 
 


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