明治生まれで昭和にかけて活躍した「中村天風(なかむらてんぷう)」という人(哲学者・思想家)をご存じでしょうか。
元々は軍の情報将校つまりスパイをしていた方で、その後結核を患い自らの治療方法を探すため欧米各地を旅した後、ヨガの聖者カリアッパ師に見いだされインドの山奥で修行を積み悟りを開いて後、日本で生き方の説法を広く説いた人です。
こう書くとなんだか胡散臭さが漂ってしまいますが、例えば松下幸之助などは天風の薫陶を受けて成功した人の一人です。
現在でも「天風会」という公益財団法人があって活発に活動していますので、詳しくはリンク先をご覧ください。
私がこの人の事を知ったのは多分30歳前後頃だったと思いますのでもう20年以上前になりますが、「運命を拓く」というタイトルのハードカバーを読んだのが最初です。現在は文庫も出ていますので手に入りやすくなっています。興味のある方は読まれればと思います。
ところで今日この天風師の事を書こうと思ったのは、30前後の年齢だった頃に読んで心に留まった事と今54歳になって読んだ時に心に留まった事が随分違う事に気付いたからです。例えば聖書とか仏教の経典などもそうですが、いつ読んでみてもその時々の心の状態やレベルによって入ってくる内容が全く違います。
これは深い内容を記した書物に共通することなのでしょうが、今回再読してみて天風師の話している事は、仏陀やキリストが数千年前に話していたことと随分共通しているなと思いました。しかし最初に天風師の教えに触れたときには、仏教関連の知識もその他人生経験も未熟だったので同じ文章を読んでも当時と今では全然違う書物に触れた感じです。
天風師の教えを誤解を恐れずに平たく言うと、「信じる物は救われる」といった教えでとにかく心を積極的に保つ事を繰り返し説きます。
言い換えればポジティブシンキングや引き寄せの元祖とでもいいましょうか。
そうした心の状態に持って行くためにヨガ的な呼吸法であるとか、独特の「誦句(しょうく)」という詩を唱えることを勧めます。
ところで先に仏陀の教えと共通しているなどと書きましたが、例えばこんな部分です。
仏陀は執着を手放す事が悟りに近づく方法だと説きました。つまり同じ人を愛するのでも、執着すればその人を不幸にもしてしまいます。(渇愛)しかし執着を手放した愛ならばその人を不幸にすることはありません。(慈愛)
天風師は心を消極的にするなといいました。つまり何かに思い悩んだり恐れたりすることが人生を不幸にするという事です。
自分の愛する人が誰か他の人にとられるのではないかと常にビクビクしていてはいくらその人が近くにいてもちっとも幸せではありません。
消極的とはつまり何かに執着している状態とも言えるのではないでしょうか。
また、キリストは「求めよさらば与えられん」と言いました。これは様々な解釈がある言葉かとも思いますが、天風師は一貫して人生はその人の心のありようで全てが決まると言っています。心を常に積極的に保てば、まさに求めたとおりの人生が送れると説いています。
そのために、様々な「誦句(しょうく)」で自己を暗示にかけたりクンバハカという独特のヨガのテクニックを教えたりしていますが、
やはり「悟った人」というのは共通の事を言うもんだなと納得した次第です。
さてさて、何はともあれ美味しいご飯があればそれで幸せ。すてきな一日に乾杯。
◎鶏もも肉と新キャベツの甘辛味噌炒め
◎もやしとキュウリの和え物
◎ワカメスープ