人としての在り方と幸せと日々雑感

今回のコロナ禍で一番感じた事は、人間にとっての「言葉」の大切さでしょうか。
人が幸せを感じるためには絶対的にスキンシップが重要だと考えていたのですが、そこそこ言葉のやりとりだけでも幸福感を味わえるものだなと。
逆の言い方をすれば、言葉面さえ飾り立てれば人は簡単に騙されてしまう…。
オレオレ詐欺に始まる特殊詐欺などはこうした言葉の力の悪い面の現れですかね。
一方で最近のアメリカやヨーロッパの状況などを見ていますとあちこちでデモが頻発していますが、あれだけうるさく言われたソーシャルディスタンスなど全く無視して普通のデモが行われています。
なのになぜかコロナのクラスターがデモ隊から発生したというニュースは出てきません。
これをみても「報道」というのが何か大きな意図を背景になされていて、我々はそれに踊らされているだけだという事が分かります。
ただ、それを知ってか知らずか最近の若者はどんどんテレビを見なくなっています。
一人暮らしをしている私の息子などはテレビを持っていません。必要ないんだそうです。
そういう私も、最近は早朝の出勤前にニュースと天気予報を少し見るだけで他は見なくなりました。
時代の流れと言えばそうですが、世の無常を感じずにはいられません。
思えばテレビがメディアや娯楽の中心に座るようになってまだ50年程です。
それでもうすでにその役目を終える、あるいは変えようとしている…。
うんと若い頃、マスコミで働いた経験があるものとしては感慨深いものがあります。

ところで最近「嫌われる勇気」の著者として有名な岸見一郎という人の本を初めて読みました。
「今ここを生きる勇気」というNHK出版から出ている新書です。
内容は岸見さんが行った一般向け哲学講座の内容を収録したもので、難しいことは書かれていません。
その中にこんな一節を見つけました。
「正しいことをする必要があれば、そうすることが出来る人になる。」
これってさらりと聞き流すことも出来ますが、実際にはなかなか難しいことだと思います。
この「正しいこと」というのが曲者です。何が正しくて正しくないのか…。
その前に、一体「正しい」ことなんて本当にあるのか。
それが分からないから人間死ぬまで悩みが尽きないのでは無いか…。
とりとめのない事を書いてしまいましたが、今回のコロナヒステリーを見ても「正しい」ことを判断するのはマスコミでも専門家でもなく、結局自分にかかっていると痛感している今日この頃です。

「宗教・スピリチュアル」

さてさて、何はともあれ美味しいご飯があればそれで幸せ。すてきな一日に乾杯。

◎鮭と烏賊のトマトソーススパゲティ
◎カイワレとトマトとレタスのサラダ
 
 
 


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