挫折や失敗。そして絶望と「大河の一滴」

私が個人事業主として独立したての頃、あるCMプランナーの方に気に入っていただきお仕事をさせていただいた事がありました。
この方、仮にAさんとしますが、有名広告代理店の社員を経て独立し主にテレビやラジオ等の電波媒体で活躍されていた方です。
当時は誰でもが知っていた有名なCMをクリエートしたりとかなり手広く事業を展開して成功していたと聞きました。
しかし私と知り合った当時は、経営していた会社を清算し一人でスポンサーを探してきては販促企画を提案して食いつなぐといった事をされていました。
当時の私は起業したての若者で、仕事をさせていただきながらも将来Aさんの様にはなりたくないなと漠然と思ったものです。
そのAさんがいつも持ち歩いて折に触れて読み返されていたのが、五木寛之さんの「大河の一滴」でした。
当時私に「この本がねえ、心に染みるんですよ。」とおっしゃっていたのをなぜだか妙に覚えています。
ところがこの「大河の一滴」が、コロナウィルスが猛威を振るう中再び売れているというニュースをネットで見ました。
それで私もなんだか読んでみたくなって買い求めたのですが、当時Aさんが言っていた事がようやく理解出来ました。
コロナウィルスで先の見えない世相になって売れていると言うことも理解出来ました。
この本の冒頭書き出し部分を引用します。

「私はこれまでに二度、自殺を考えたことがある。最初は中学二年生のときで、二度目は作家としてはたらきはじめたあとのことだった。どちらの場合も、かなり真剣に、具体的な方法まで研究した記憶がある。本人にとっては相当にせっぱつまった心境だったのだろう。
だが、現在、私はこうして生きている。当時のことを思い返してみると、どうしてあれほどまでに自分を追いつめたのだろうと、不思議な気がしないでもない。しかし、私はその経験を決してばかげたことなどとは考えてはいない。むしろ、自分の人生にとって、ごく自然で、ふつうのことのような気もしてくるのだ。

恐らくAさんは自身でも自殺を考えたりされていたのかもしれません。しかしその、闇に沈んで行く心をこの本を繰り返し読むことで光の中に連れ戻していたのだろうと、今の私には理解出来ます。
よく言われるたとえですが、光は闇があるから光たり得ると。つまり絶望の淵を経験するからこそ人は「希望」をそれと認識出来るのではないか。
半世紀以上を生き、本当にダメな人生を送ってきた私にもその事が少し分かるようになってきました。
その分、若い頃には見ることの出来なかった「希望」めいたものも感じることが出来ています。
人はその人なりのレベルでしか物事を見ることが出来ません。
その頃Aさんが感じていたであろう「闇」や「希望」を、当時の私は全く理解出来ませんでした。
もし今の私がそのまま当時のAさんとお会いすることが出来たなら、とても美味しいお酒が酌み交わせるだろうなとしみじみ思います。

さて、今日は上座部仏教の僧侶であり、日本人でもあるプラユキ・ナラテボーさんのツイートを引用して締めたいと思います。以下引用です。

一般にブッダは「あらゆる欲を捨てよ」と説いたとされているが、実際は「欲を持たずに、意欲を持て」と説かれた。感情への耽溺、他者への欲求、未来の結果にとらわれるのが「欲」であり、一方、向上心や思いやりを伴って今ここでの精進を促す意思作用が「意欲」。「意欲」はブッダ推奨の欲である。

「宗教・スピリチュアル」

さてさて、何はともあれ美味しいご飯があればそれで幸せ。すてきな一日に乾杯。

◎塩鮭
◎豚バラ肉と大根の煮物
◎水菜と薄揚げの煮浸し
◎ワカメの吸い物
 
 
 


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