病人を見舞うという事

先日知り合いが急に入院されました。この方にはほんの数日前にあったばかりだったのと、その時はとてもお元気だったので急な入院の知らせには驚きました。それで早速お見舞いに伺ったのですが、最近個人的にお見舞いをするという事に関して考えさせられる事がありましたので、今日はそのことを少し書いてみたいと思います。
私の非常に近しい間柄の人が滋賀県に住んでいます。仮にAさんとしておきます。私は大阪ですのでAさんの住む町までは電車を乗り継いで2時間弱かかります。遠いようですが、充分に日帰り圏内です。このAさんから二ヶ月ほど前に久しぶりに電話がかかってきました。曰く、すい臓にガンが見つかったと。先日、星野仙一さんがすい臓癌で亡くなったばかりのタイミングだったので、本人は随分ショックを受けている様子でした。私は驚いて、次の休みに急いでAさん宅に見舞いに伺いました。出迎えてくれたAさんは、少し痩せてはいましたが見た感じは元気そうでした。色々話す内に用事を頼まれましたので、お安いご用と引き受けて、次の訪問の約束をして帰りました。それで頼まれた用事を済ませて約束の日に報告に伺いました。その時に、Aさんからこんなことを言われました。
「葬儀は家族だけで済ますことにしたので誰にも連絡はしません。近々入院することになると思いますが、お見舞いに来てほしくないので誰にも入院先はお知らせしません。」
こういった内容の事を言われたのですが、これを聞いていてなんだか寂しいやら悲しいやら腹が立つやら複雑な感情が沸き起こってきました。
つまり私はもう生きているAさんとはお目にかかる事はないかもしれないんです。勿論ガンが治れば話しは別ですが、すい臓癌はガンの中でも非常にタチが悪く数年以内に無くなる方が多いのが実態です。ですので葬儀にも行くことが出来ず、見舞いにも行けないとすればもう二度と会うこともないという事になります。
この事があってから、色々考えてしまいました。自分の「死」というものに対して、本人の意思が最も尊重されるべきなのは分かります。
ですので、葬儀を家族だけで執り行うのも見舞いを断るのもどちらも本人の希望にそう形が一番だというのも理解できます。
なのに私の心の中にはなんだか割り切れない感情が出てきてしまいます。まだ生きていることが分かっているのに、会うことも見舞うことも出来ない。葬式にも行けない。全部終わってから連絡だけ受けてもああそうですかと中々割り切れるものではないというのが素直な感情です。
旅立つ人の気持ちと見送る人の感情。それは必ずしも同じ方を向いているとは限らないと、この事をきっかけに知ることとなりました。

さてさて、何はともあれ美味しいご飯があればそれで幸せ。すてきな一日に乾杯。

◎春巻き
◎キュウリの酢の物
◎卵スープ

 


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