エリート達が作る不寛容社会その2

前回の記事の続きです。
今の世の中が「不寛容社会」と呼ばれる窮屈な世の中に向かった大きな転機はやはりインターネットの登場ではないでしょうか。
覚えておられる方いるでしょうか。ネットが普及し始めの当時一人の中年おじさんが執拗に確か東芝だったと思いますが、クレームを付け続けついに社長に謝罪をさせたという事がありました。これをきっかけにクレーマーという言葉が一般的になったと記憶していますが、これはインターネットがなければ起こりえない事でした。
全く無力の一個人がマスコミ並の情報発信ツールを誰でもお手軽に手に入れる事が出来、しかもそれが世論さえも動かす事が分かった瞬間でした。
ところで私は仕事柄インターネットの草創期からネット環境を使って仕事をしていましたので、インターネットが持つ魅力も危うさも割と早い時期から知っていたと思っています。なので、霞ヶ関の高級官僚の皆さんがある時期から雪崩を打ったようにネットの普及を推進し始めた事に疑問を感じていました。
というのは、そもそもネット世界というのは「官」とはそぐわない世界でしたし、ネットを使って公文書などをやりとりする方向になって行ったときには、ネットがいくらセキュリティーを高めても結局ハッカー達の餌食になるのは目に見えていました。無学な私でもその程度のことはすぐに想像できました。
しかし、エリート達は恐らくその可能性は認識しつつもそうはしませんでした。
その結果、と言っても良いと思うのですが、ネットの中の世界観がリアルな世界の現実を徐々に蝕み生まれたのが「不寛容社会」と呼ばれる窮屈な世の中ではないかと思うんです。
不寛容な人というのは、多くは挫折を知らない人です。或いは、挫折するところまで何かを学ぼうとしなかった人達です。
非常に優秀で順風満帆な人生を過ごしてきた人というのは自分に厳しいのは勿論、他人にもとても厳しい物です。分かりやすい例でいうと、少し前に女性の代議士が車の中で秘書に向かって「この禿げー」と叫んで議員辞職に追い込まれた例がありますが、この人などは大変優秀な官僚だったと聞きました。
こういうタイプの人は、自分よりも劣った人に対してとても辛辣な態度を取りがちです。それが自分に直接利害関係がない人なら何も言わないのですが、密接に利害の絡む人(この場合は秘書)の場合は、自分の評価が下がることに繋がるので「許す」事が出来ません。それであんな事になったのだと思います。
つまり、今の社会で「エリート」と呼ばれるためには少なくとも「人格者」である必要のない仕組みが出来上がってしまっています。
学校の成績が優秀で、東京大学法学部に入学することがエリート社会に入る前提になっているので、多くは人生の機微であるとか人の心の営みなど本来リーダーが学ぶべき事を学ぶこと無くエリート階級に迎え入れられます。
結果的に、一般とはかけ離れた「想像力の無い」エリート集団が出来上がってしまったのが現代という時代では無いでしょうか。
こういった社会では、失敗すること無く東大法学部までたどり着くことが求められますので、そういった人生を歩んで来たエリート層が作る社会もまた失敗を許容出来ない社会となった気がしてしょうがありません。
亡くなったカリスマ経営コンサルタントの船井幸雄氏がよく著書などに記していた「組織の法則」に、「組織はリーダーで90%以上が決まる」というものがありました。
これは、組織というものは良くも悪くもリーダーの資質でほぼ決定づけられるというもので、だからリーダーが学び成長することが会社を成長させる為に最も必要な事だという理論です。平たく言えば率先垂範が大事という事ですかね。
だとすると、今のリーダーの皆さんにはもう少し幅広い見識を獲得する努力をしていただきたいと切に願う今日この頃です。

さてさて、何はともあれ美味しいご飯があればそれで幸せ。すてきな一日に乾杯。

◎肉豆腐
◎タケノコの煮物
◎ホタルイカと姫皮の木の芽和えr

 


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