絶対的だったモノが壊れて行く社会の中で

先日の衆議院議員選挙の中で奈良県の橿原市で投票数が実際の投票者の数より11票も多いというニュースがありました。
先のアメリカ大統領選挙で色々あった事が記憶に新しい中、日本でこんな事は絶対に起こらないと思っていましたが起こってしまいました。
これがもし昭和の時代に同じ事が起こっていたら今の何倍も大騒ぎになって選挙結果も原因が突き止められるまで確定にならなかったのではないでしょうか。
今回橿原市の選管は原因不明のまま結果を確定してしまいました。
これは橿原市の選管で働く人達に職業意識的なものが欠如している証左だと思います。
こうした事はここ10年以上前から感じていることですが、かつて絶対的と思っていた権威が最もうさんくさい存在になりつつあります。
例えばマスコミ。私が少年時代を過ごした昭和という時代には、テレビに出ることは一種のステータスでもありましたし、マスコミの側にもそうした事を踏まえ凜とした矜持の様なものがあったのではないでしょうか。
特にお堅い報道番組などでは、不偏不党といった意識はまだまだあったのではと思います。
しかし今はどうでしょうか。NHKからさえもそうした気概は感じられなくなりました。
今では多くの人が、テレビや新聞は必ずしも事実を報道しているわけではないと知っています。
場合によっては事実をねじ曲げて、しかもそれを知っていながらあえて報道していると疑ってさえいます。
権威が権威としてあるためには、人から後ろ指を指されることがあってはなりません。
自らを律し「無欲」や「利他」など高潔なモノが感じられて始めて権威が維持されますし尊敬を集めます。
これは個人でも組織でも同じ事です。
私が今でも開いた口が塞がらない思いでいる事を一つ例にあげましょう。
かつて小泉内閣で権勢をふるった竹中平蔵の事です。
彼は元々慶応大学の教授で、いわば学者でした。しかし権力だったりお金が大好きだったんでしょうね。
小泉内閣で入閣し郵政民営化に辣腕をふるいましたが、同時に人材派遣の規制緩和も実行しました。
この規制緩和によって日本全国に非正規雇用者があふれ、現在の格差社会が出現しました。
規制緩和を断行するなら、同時に非正規雇用者向けのセーフティーネットも整えてからやるべきでしたが、彼はこれをしませんでした。
一方でこれによって急激に業績を伸ばしたのが人材派遣会社です。
そして現在、竹中平蔵が大手人材派遣会社のパソナグループ会長に納まっていることは有名な話しです。
ほんの1ミリでも羞恥心があればこんな事は出来ないのではないでしょうか。
何でもありのやったもん勝ちを体現したのが、かつては「権威」の代表格であった大臣を務めた人だったわけです。
リーダーがこれでは、下々の者が何をやろうと文句を言われる筋合いはないと思うのは私だけでしょうか。
今回のコロナ騒動に関連してもマスコミや専門家と言われる学者達の劣化は目を覆うばかりです。
社会全体が、もう一度しっかり足下を見つめ直し価値観を問い直す必要があると感じます。

さてさて、何はともあれ美味しいご飯があればそれで幸せ。すてきな一日に乾杯。

◎なめたカレイの酒蒸し
◎小松菜の和え物
 
 
 


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