東日本の方にとって地震と言えば福島の地震になるかと思いますが、関西に住む私にとって地震と言えばやはり1月17日に起こった阪神淡路大震災です。
当時私は大阪の豊中市に住んでいまして、マンションの5階でした。
妻と子供が二人居ましたが隣の部屋で寝ていました。
今でもはっきり覚えていますが、早朝だったにもかかわらず何故か揺れ始める直前から目が覚めていました。
当時関西では地震はほとんど無く、東京は地震が多いから大変だなといった会話が普通に交わされていました。
その関西が突然あの大きな地震に襲われたんです。
まさに人生初の体験で、一瞬地震ではなく何かの攻撃かと思ったほどでした。
リビングに出てみると壁に付けて置いてあったアップライトのピアノが動いていたり食器が散乱していましたが、幸いその程度の被害ですみました。
子供達はまだ小さく何が起こったか分からないまま声をあげて泣いていました。
この時の体験で最も印象的だったのは、地震というのは被害を受けた地域と受けなかった地域でこんなにも違うものなのかと言うこと。
被害を受けた地域は電気もガスも水道もなく、まさに被災地なわけですが、
その被災地からほんの数駅も離れればそこには以前と変わらぬ日常がある。
まったく何事も無かったように暮らす人が存在している事が何とも納得出来ないというか、釈然としない感情を覚えました。
わずか数キロほどしか離れていない場所で、お風呂にも入れず布団もなく炊き出しに頼って暮らす人がいる反面、
被災地にならなかった地域では以前と同じ生活があるわけです。
地震からしばらくたち少し落ち着いた頃、当時兵庫県の尼崎市に住んでいた親戚を見舞うために梅田まで出かけました。
何か手土産をと思い阪急百貨店に行ったのですが、地震など無かったかのような日常が目の前にあった事を今でも忘れません。
そのまま阪急電車で親戚の最寄り駅まで向かったのですが、ほんの数駅進んだだけであちこちにブルーシートが目立ち始め風景は被災地へと変わります。
その時に感じた無常感といいますか、脱力感といいますか、とにかくこの時の経験は忘れられないものになりました。
あれから何十年の月日が流れ、リビングで泣いていた子供達も今は30歳を超えています。
あの日肉体を離れた魂に祈りを捧げると共に、今日まで生かされている事に感謝したいと思います。
さてさて、何はともあれ美味しいご飯があればそれで幸せ。すてきな一日に乾杯。
◎餃子
◎筑前煮
◎ブロッコリーのサラダ