重い話し「学校に行くということ」

自分で言うのもなんですが、私は一見人当たりが良く他人から見て内気なタイプには見られません。特におしゃべりでもありませんが無口なタイプではありません。人前で話すことも苦になりません。そうしたキャラクターは子供の頃からそう変わっていないと思います。
ですから、大人になって友人などに学校が嫌で嫌でしょうがなかったと話すと皆一様にびっくりします。逆に多くの友人達が学校は好きだったと言うのを聞いて驚きました。当時は自分も含めて全員が学校は嫌いだけど義務だからしょうが無く登校していると思っていました。
そんな風ですからもし私が今の世の中に生まれていたら、確実に不登校になっていたろうと思います。でも当時は不登校という選択肢は思いつきもしませんでしたし、世間体を気にすると言うような社会的な空気といいますか圧力の様なものが今よりずっとあったように感じます。ですから引きこもるだとか不登校といった事は親のためにもあってはならないことでした。
最近になって時々考えるのですが、もし当時学校に行くのを辞めていたらどんな人生が待っていただろうかと。
まず普通に新卒で就職するという道は閉ざされます。でも私の場合、普通のサラリーマンには最初からなろうと思っていませんでしたしなりませんでしたので同じ事です。
では仕事もせずに自宅でぶらぶらしていただろうかと考えると、それは自分の性格上無理だったろうと思います。そんな風に色々な可能性を考えてみたら、結局同じような人生を歩んでいたかもなと想像します。だったら嫌いな学校など無理していかずにさっさと辞めて社会に出てしまえば良かったのかなと思ったりもしますが、そんな勇気もありませんでしたね。
翻って今の世の中は不登校は当たり前になっていますしそうした子供に対する受け皿と言いますか、学校以外の学びの場もそれなりに用意される世の中になりました。学校という場で集団生活のテクニックを学ぶのも良い事ではあるのでしょうが、学校という場にどうしてもなじめなければ無理に登校せずに自分なりの人生を歩むことも許される世の中になってきたのではないかと感じています。
それは言い換えれば多様な価値観を認める社会になったと同時に「何でもあり」の社会的規範意識が薄くなった社会なのかなとも思います。
自由であると同時に責任もついて回る。それは良い事のように見えて実は中々しんどいことなんだと思います。

さてさて、何はともあれ美味しいご飯があればそれで幸せ。すてきな一日に乾杯。

◎鶏もも肉の照り焼き
◎豆腐のおすまし
◎ほうれん草の胡麻和え

 


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