神様は乗り越えられない試練を課すことはない

その昔、叫ぶ詩人の会というバンドのリーダーとして、またラジオのパーソナリティーとしてマスコミに良く登場していたドリアン助川という人がいました。勿論、今も現役で活躍中の方なんですが、現在は主に作家として活躍していらっしゃるようです。
一時的にテレビなどに良く登場して、そのうち見かけなくなる方は数多くいらっしゃいますし、そういった人のその後の人生について興味を持つこともあまりないのですが、この人についてはなんだか気になっていました。
そんな中、先日NHKのEテレで放送している「心の時代〜宗教・人生」という番組にドリアンさんが出演されていました。私はスポーツと動物関連のドキュメンタリー以外はあまりテレビを見ない人なのですが、たまたまテレビをつけたら丁度その番組が始まるところでそのまま最後まで見てしまいました。
ドリアン助川さんのような文化人タイプの人というのは、テレビに出ないからといって特に困ることもなく、順調に生活されていたのかと思っていましたら、40代にさしかかる頃から仕事がなくなりかなり長い間苦労された様です。
そうして、どん底の暮らしの中で経験した数々の事が助けになり、ようやく前に進むことが出来たようでした。
実はこの「40代にさしかかる頃」というのは丁度私のどん底ともダブっていまして、
同じくそこら辺を境に私の場合は前を向くのに12年ほどかかってしまいました。
ドリアン助川さんがどの位の期間前を向くことが出来なかったのか、具体的な事は話されていませんでしたが、
ニュアンスから察するに10年近くは悶々とされていたのかなと感じました。
特に「朝が辛い」と話されていたことは私もそう感じていたので思わずうなずいてしまいました。
どういう事かというと、夜になるとお酒があるのでなんとかなります。
でも朝になると、また辛い一日が強制的に始まってしまう。
もう自分なんてこの社会から消えて無くなりたいと本気で思っているのに、またこうして一日が始まってしまう。
それを思うと、やりきれない気持ちが湧いてくるんです。
ドリアン助川さんは「朝にどこかの列車が止まっているというニュースを聞くと、ああ朝が乗り越えられなかったんだなと思った」と番組で話していらっしゃいました。
こんな有名人で才能のある人でもどん底を経験し、そして同じ様な事を感じるんだと思うとなんだか親近感を覚えてしまいました。
ドリアンさんの場合は更に夕暮れの堤防で大悟と言ってもいい特殊な経験をして、
色々な迷いが吹っ切れたようでした。その体験から悟ったことは「私はこの世を見るために聞くためだけに生まれてきた。この世もだだそれだけを望んでいる。」
といった事だったようですが、とてもとても深い言葉だと思います。
ところで、今日のタイトルは「神様は乗り越えられない試練を課すことはない」です。
もし今、人生のどん底を経験している方がいらっしゃいましたら、この言葉を贈りたいと思います。
ダメなときは全力でダメな一時を味わえば良いのです。
それさえも神様がくれた贈り物です。ただ感謝して贈り物を味わいましょう。

さてさて、何はともあれ美味しいご飯があればそれで幸せ。すてきな一日に乾杯。

◎カツオのたたき
◎ほうれん草の胡麻和え
◎粕汁

 


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