決断と結果と訪れる人生の課題

私はかつて運営していた会社を自分の下手な経営のせいで潰してしまったのですが、最終的に事務所をたたむまでの過程で一度だけ存続させられるチャンスがありました。しかしその時に私はそのチャンスを拒否しました。今でも後悔はしていません。今日はその時の話しをしてみたいと思います。
私の元々の商いはDTPと呼ばれる印刷物の元データを作る仕事でした。(今でも細々続けています)
丁度印刷工程がパソコン、特にMacの登場で劇的に変わっていく時代に色々な偶然が重なって洋食のコックだった私が突然DTPの仕事をするようになりました。
元々パソコンなど触ったこともなく、最初は全くの素人でしたが、色々な出会いがありデザインも勉強して何とか食べていけるようになりました。
起業から10年程は順調でしたが、以前の記事にも書いたように徐々におかしくなっていったのですが、その過程で繰り返し借金をして延命をはかりました。気がついたら債務超過に陥っていて身動き取れなくなっていました。
事業というのははじめる時より辞めるときの方が数倍難しい決断を強いられます。
私もバランスシートを見ながら法的整理が最も妥当な決断だと分かっていたのですが、一縷の望みを託して再建屋と呼ばれる業者にコンサルタントを依頼してみました。
依頼した理由は最終損益は大幅な赤字でしたが、営業利益は確保出来ていたからです。
つまり借入金の返済さえどうにかすれば事業そのものは健全だったと言うことです。
実はDTPの仕事が激減した時に別途ネットショップを立ち上げて、その事業がある程度軌道に乗っていました。
しかしどうしても借入金の負担が重く中々ネットショップ事業に資金が回せない状況にジレンマを感じていました。
それでコンサルタントに依頼をしたのですが、出てきた答えは会社ごと(借金も含めて)別の会社に売却して、私が雇われ社長として働くなら再生可能という答えでした。
新会社からもらう給料も私が提示した金額で問題ないとの事でしたので、普通に考えれば渡りに船の提案です。
それでその業者が「一週間ほどの時間をあげるので、その間に決断してほしい」と言ってきました。
だけどほとんど悩むこと無く、自分の中では断る方向で答えは出ていました。
もちろん最初の数日はかなり悩んだのですが、日を追う毎に「このまま自分で最後まで続けよう。毒を食らわば皿までだ。」という気持ちが強くなってきました。
理由は二つありまして、一つは一旦雇われ社長として仕事を続けることが出来ても、いずれ追い出されるなりして人手に渡る事になると思ったからです。
そしてもう一つ。「自由がなくなる」と思ったのが最大の理由です。
事業は存続できても、雇われの身であれば自分の決断だけで事業を進めていくことが出来ません。
つまり最後の決定権が自分にない状態では独立事業者と呼ぶことは出来ません。それがどうしても嫌でした。
私に決定権があるせいで今の状況を招いた訳ですから、それが大変身勝手で手前味噌な考えだと十分に承知しているのですが、受け入れられませんでした。
結果、私は住む家を失い軌道に乗りかけていた新規事業も失いほぼ全てを失いました。
ですがどういうわけか、当時も今も後悔はしていません。
これは恐らく私の潜在意識とでもいいますか、心の深い部分が納得していたからだと思います。
現世的な価値観だけでみるとダメな決断となりますが、魂の成長にとって何を体験するのが最も良いのかという視点ではOKだったと言うことです。
この体験を通して私の中にあった「甘え」であったり「依存心」といった部分が見えてきました。
この二つのキーワードは私の人生の中で繰り返し出てきた課題でもありました。
もし私がこうした体験を通してこれらの課題をクリアできていたとしたなら、もうこの課題は今後の人生には現れてこないと思います。
試練とはそうした理由で人生に訪れるものだと今では理解しています。
人はこの世での寿命を終えて天に帰るその時までに一体どれだけの課題をクリア出来ているのか。
つまりはそれが生きる意味であり人生を深く味わう事に繋がると思う今日この頃です。

「宗教・スピリチュアル」

さてさて、何はともあれ美味しいご飯があればそれで幸せ。すてきな一日に乾杯。

◎カレイとエビのアクアパッツァ・パスタ添え
◎グリーンサラダ
◎バケット
 
 
 


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