記憶の原風景の中のお盆

私が育った田舎の村では、お盆になるとこの時期に採れる茄子やキュウリなどの野菜を小さめのさいの目に切って、それを洗った生米と混ぜてお供えする風習がありました。仏壇にも供えますし、お墓にもお供えします。村にあったお地蔵様などにもどなたかが作ってお供えされていました。
特に何とも思わずに毎年そういった風景を眺めて育ったのですが、こういった原風景と呼べる記憶を自分の息子達に残せてやれなかったという思いが私にはずっとあります。この思いは、小さな罪悪感の様な者を伴ってずっと私の中に存在しています。
そうした思いとは別に、現代の子供達にはこの時代ならではの原風景があるのだろうなとも思います。
子供達が歳を取って過去を振り返ったときに、ほのぼのとした心地よい感情を伴って心の中に見え隠れする原風景は、はたしてどのような風景なのか。
都会の団地で育った私の子供達は、恐らく「お盆」という行事に特別な感情なり思い出はないでしょう。
最近になってようやく気付いた事ですが、農業もしくは収穫と宗教は切り離せないものだなとつくづく思います。ここでの宗教は仏教に限りません。
自然の中で暮らし、自然からの恵みを戴く暮らしをしていれば、自ずと目に見えないものに感謝の念を抱くようになります。
それが自然な形で色々な宗教などと結びついた生活が、かつての世界中の人々の暮らしだったのだろうなと思います。
しかしいつしか資本主義的な価値観が世界を席巻するにつけ、こうした精神的な暮らしの豊かさを我々はすっかり忘れてしまいました。
そんな今の世の中を、はたして我々のご先祖様はどんな思いで見ていらっしゃるか。
年に一度のこの時に、色々思うところの多い今日この頃です。

さてさて、何はともあれ美味しいご飯があればそれで幸せ。すてきな一日に乾杯。

◎ベーコンとズッキーニのトマトソースパスタ
◎ブロッコリーサラダ
 
 
 


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