何でもありな世の中で生きると言うこと

最近、今の若い人達はいったい何を心の拠り所にして生きているのだろうと考えることが増えました。
私が育った昭和の高度成長期という時代はまだ敗戦の余韻を引き摺っていて、
とにかく「沢山ある」事が良いことだと誰もが信じて疑わない時代でした。
モノもお金も土地や肩書きでさえ多く所有していることが富の象徴であり、それがつまり幸せの基準でした。
基準がハッキリしているので、目指す方向も自ずと定まります。
皆が一丸となって同じゴールを目指し、脱落したらしたでそんなに世知辛くない世の中で普通に生きていける。そんな時代でした。
それが変わってきたのがバブルを経験した後くらいからでしょうか。
勝ち組負け組といった言葉が使われるようにもなり、経済的なゆとりがなくなると同時に社会全体に精神的なゆとりがなくなってゆきました。
一度コケた人間はもう復活することが難しくなり、非正規雇用の名のもとに搾取され続ける存在として固定される様になりました。
そんな中で聞こえてくるのはかつては考えられない様な内容の犯罪の数々。
幼児虐待だったり親の子殺し子の親殺しだったり。あるいは無差別殺人だったり。
もう何でもありの世の中で、マスコミなどもこうした犯罪を面白がって報道しなくなりました。すっかり当たり前になってしまったからです。
以前私は自分の子供に「将来親の面倒なんか見るつもりないから」と宣言された事があります。その子がまだ10代だった頃に言われたので今では考えも変わっているかもしれませんが、軽くショックを受けたのを覚えています。
別に将来的に子供の世話になろうと思っていたわけではありませんが、少なくとも私が子供の頃はそうした事を自分の親に向かって言える雰囲気はありませんでした。
かつてその辺りの価値観は「常識」として社会全体の「空気の中」にあり、改めて学校などで教えてもらう事でもありませんでしたし、「人を殺してはいけません」と同じレベルで皆が共有しているモラルとして存在していました。
ところが現在はそうした「モラル」と呼べるものがなくなってしまったので、人は皆それぞれ「自分だけの物差し」で判断して生きているように感じます。これは若い人達に限らずそうした事を感じます。
ネットで見かける様々なコメントなどを見てもやはり壊れているなと感じることが多いです。
そんな世の中で、これからの若い人達はいった何を心の拠り所として生きて行けば良いのか…。
何を目指してどの方向に頑張って生きて行けば良いのか…。
本当に難しく、そして大変な社会になってしまったと思います。
昨今のコロナ禍で、一番ダメージを受けた人達はシングルマザーなどの非正規雇用の人達でした。
まだ若い女性の自殺率が昨年に比べて大変高い率で増えている情報を目にします。
しかしそれをマスコミは問題にせず、相変わらずコロナは怖いと言い続けています。
一部の勇気のある医療関係者達の声を集めたブログなどもありますが、(こちら)そうした声はかき消されてしまっているのが現実です。
以前の様に社会全体に流れる「モラル」が生きていた時代なら、こうした現実の方こそ問題にされていた事でしょう。
しかし今は「モラル」が壊れてしまっているので、マスコミや社会を動かす政治家などエリート層ほどこうした事を無視する傾向があります。
マスコミも政治家もコロナ禍の影響で職を失うわけではないので、自分に関係あるかもしれない事にしか興味が向かないのでしょう。
人の痛みを想像できない人がどんどん権力を持ちお金を稼げる世の中…。子供じみた社会になったと思います。
しかしそんな社会にしてしまったのは、バブルから今日まで社会を動かしてきた我々世代かもしれないと思うと何とも切ない気持ちになる今日この頃です。

「宗教・スピリチュアル」

さてさて、何はともあれ美味しいご飯があればそれで幸せ。すてきな一日に乾杯。

◎ササミと蓮根のフリッター
◎ポテトサラダ
 
 


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