私には4歳年上の兄がいたのですが、4年前に自死しました。あれから4年経ち、この先私は兄よりも長生きしていく事になります。
こういった事をブログに書くのも今まではなんだかはばかられていたのですが、先日アルコール中毒に関する本を読んで気が変わりました。
私の兄は大変に頭の良い人で、子供の頃から高校を卒業して大学に入るまで学校の成績で3番より下を取ったことがないような人でした。
勉強に関しては常にトップを維持している人でしたが、塾に通ったことも無く書店で参考書などを買ってきて自分で勉強して好成績をあげるといった人でした。
特に数学に関しては天才的な部分がある人で、今でも覚えている兄の言葉が「問題を見たら考える前に答えが分かってしまう。」でした。
まあ本当かどうか分かりませんが、普通よりも右脳の働きが活発な人だったのだろうと思います。
大学も大阪大学の理学部だけを受験して見事に合格。そのまま大学生になりました。
大阪大学を受験した理由は、父が兄を医者にしたがり、当時の大阪大学では医学部への編入が出来たので父の意向で大阪大学を受けたのでした。
兄は医者になることを嫌がっていましたが、大学生になってしまえば親元を離れられるので黙って受験した様です。
そうして兄は大阪の豊中市で一人暮らしを始めました。
この頃からです。兄のお酒の量が度を超すようになり始めたのは。
元々、それこそ小学生の頃からお酒を隠れて舐めるような事をしていましたし、
高校生の頃には立派に二日酔いになったりしていましたので酒飲みになることは家族皆が想像していました。
しかし親元を離れた兄は、一人でたがが外れたのでしょうね。
何も予定のない日は朝から一日中飲んでいたようです。
当然学校にもあまり行かなくなり、結局大学も中退することになりました。
ただ、そのままダメになってしまったのかというとそうではなく、大学の先輩が東京で起業した会社に引っ張られて就職しました。
その会社は当時まだ珍しかったコンピューターのプログラミングの会社で、兄は腕利きのプログラマーとして創業間もない会社でキャリアを積み上げました。
会社は順調に発展し、兄も役員になり首都圏に一軒家も購入し子宝にも恵まれ何不自由ない生活を送っていました。
そうした中での突然の自死でしたので、連絡を受けたときは本当に驚きましたし頭の中に「何故?」という言葉がループし続けました。
今でも覚えているのは兄嫁さんの憔悴しきった表情と長男の茫然自失の顔です。
最初に遺体を発見したのが長男だった様で、その意味でも勝手に死んでいった兄は本当に罪なことをしたと思います。
実は兄が自死をしたその日、兄嫁さんと長男は兄嫁さんの実のお兄さん、つまり義兄の葬式に参加するために青森に帰省していました。
この義兄と私の兄は大変に仲が良かったそうで、私の兄は恐らく義兄の病死を悲しみ酒を飲み過ぎてしまったんだろうと思います。
そうして発作的に自殺してしまった。特に遺書も無かったようですから、恐らくそんな事なんだろうと思います。
私もお酒を飲みますが、兄のように朝から一日中飲み続けられるわけではありません。
一方兄は飲むと決めたらいつまででも飲んでいられる体質でした。
ただ、あるラインを超えると人格が変わると言うかちょっと酒癖の悪さを持った人でもありました。
先日読んだアルコール中毒に関する本に書いてあったのですが、アル中になる人は予備軍も含めて漏れなくこうした酒癖の悪さを持っているのだそうです。
そして更には、アルコールが自殺のリスクを高めるのだそうで、兄もお酒を飲まなければ恐らく今でも生きていたのでは無いかと本を読んで思った次第です。
酒は百薬の長とも言いますし、私も大好きで毎日飲んでいます。
適量で止めておくことが出来れば、こんな素晴らしいものはありません。
しかし度を過ごすと何もかもを不幸のどん底にたたき落とす凶器でもあります。
結果的に飲み過ぎて自死を選んだ兄も、今頃あの世でそう思って後悔しているのではないかと思いたい今日この頃です。
さてさて、何はともあれ美味しいご飯があればそれで幸せ。すてきな一日に乾杯。
◎鯛の煮付け
◎蓮根のキンピラ
◎枝豆