人は必ず死ぬ。だから病気も事故も気にせず生きる

最近はスピ系や哲学系の記事ばかりで自分でもなんだかなあと思っているのですが、書きたいことがそっち系しか浮かばないのでしばらく辛抱下さい。
そんなわけで今日もそっち系です。

随分昔にアマゾン奥地の先住民のドキュメンタリー番組を見たことがあるのですが、その部族では出産を森の中で母親一人が行います。
で、そこから先が我々文明社会と大きく違っているのですが、生んだ子供を生かすか殺すかはその場で生んだ母親が決めるんです。
とても印象に残っているので良く覚えているのですが、「精霊として森に帰す」「人として生かす」かの二択をする決まりになっていました。
スピ系の本を読むと必ずと言っていいほど出てくるフレーズに「人は人生の大きな出来事も寿命もしっかり計画して生まれてくる」というのがありますが、だとすれば生まれてすぐに「精霊として森に帰された」魂もそれを分かって生まれてきたという事になります。
やっと生まれたと思ったら、そのまま森で殺される運命を選んで生まれたと…。
これは現代人、特に欧米の唯物論的価値観をすり込まれて育った世代には中々理解が難しいですが、少なくともこのアマゾンの人達は「(肉体の)命は地球より重い」などとは微塵も考えていないという事になります。
まあ私の場合、そこまで達観した考えは持っていないですが、人が死ぬ原因が「病気」でも「事故」でもどちらでも同じ事だとは思っています。
つまり「事故」さえ起こらなければもっと長生き出来たのに…といった考え方はしません。
死に至る実際の原因がなんであれ、それは寿命だと思っています。つまり死ぬ時期が来たから病を得て死ぬ、あるいは事故を利用して死ぬといったふうに考えます。
これは身近に自死を選ぶ人が何人かいたことと関係あるのかもしれないですし、私個人のちょっと変わった体験と関係あるのかもしれません。
実は子供の頃からやたらと交通事故、それも死者が出るほどの交通事故を何度も何度も目撃しています。
本当に何度も何度もそういった事故に遭遇しているのですが、恐らく私が遭遇した交通事故で亡くなった方は全部で10人ほどになると思います。
それも不思議と事故の瞬間を目撃するのではなく、いつも事故が起こった直後にその現場に居合わせる場合が多いです。
最初にそういった事故に遭遇したのは幼稚園の年少組の時でした。土曜日の集団下校時に後ろの方で大きな音が聞こえたと思ったら突然私の真横に黄色い長靴が飛んできました。驚いて振り向いたら、一歳年上の男の子が自動車に轢かれていました。長靴はその子が履いていたものです。ほぼ即死の状態だったと聞きました。
一番ひどかったのは高速道路上での事故に遭遇したときで、8人のお年寄りが乗っていたワンボックスカーが渋滞で止まっていた大型トラックにノーブレーキで突っ込んでしまい、結果6人の方が亡くなった事故です。6人が亡くなったというのはその日の夕方のテレビニュースで知りました。
私は事故が起こったほんの数分後に現場横を通りかかり、ワンボックスカーに乗っていたお年寄りと目が合ったと思った直後にガクンと首が前に倒れる瞬間を目撃してしまいました。恐らくその瞬間に力尽きたのだと思います。
まあ、そういった経験などがあるものですから、いつの頃からか自分も事故で死ぬのではないかと漠然と思っています。
もし本当に事故で死ぬとすれば、それは突然に訪れる訳ですから、今この時をしっかりと生きる事を心がけようとは思っています。
思っていますが、そこは生来のだらしない性格が邪魔をして結局だらだらと同じ様な日々に明け暮れています。
ただ、一つだけホントに心から思っていることがありまして、それは明日突然死んでも全く悔いはないと言うことです。
つまりこの世に全く未練がありません。だからと言って死にたいとも全く思っていません。
もし私にまだ今生で残された役割があるなら事故も起こらないだろうし病気にもならないと思っているだけです。
ただ毎日、その日その日のお役目をしっかりと生きる。今では人生とはそういうものだと納得しています。

「宗教・スピリチュアル」

さてさて、何はともあれ美味しいご飯があればそれで幸せ。すてきな一日に乾杯。

◎豚の生姜焼き
◎冷や奴
◎椎茸と三つ葉の吸い物
 
 
 


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