日月神事だったり政治の事だったり日々雑感

ある分野で関心のある方にはそこそこ有名だけど、そうでない方にはほとんど知らていないといった事柄は沢山ありますが、
スピリチュアル分野でそういった類いの代表格と言えるのが「日月神事」ではないでしょうか。
「ひつきしんじ」とか「ひつくしんじ」などと読みますが、私は一頃この日月神事に凝っていまして、毎朝「ひふみ祝詞」を唱えたりしていた時期があります。
これは岡本天明という元々「大本教」に関係していた人に降ろされたメッセージとされているもので、
沢山の解説本が出ていますから、興味のある方は読まれればと思いますが、今日は日月神事の話しではありません。
実はTwitterでこの日月神事の原書に書かれている言葉を毎日の様に短くつぶやいている方がいらっしゃいまして、
私はそのつぶやきをフォローしているのですが、先日こんなつぶやきがありました。

「自分が生んだもの、自分から湧き出るものは、いくら他に与えてもなくならんぞ。与えよ、与えよ、与えてなくなるものは自分のものでないと申してあろう。無くなると思ふのは形のみ見ているからぢゃぞ。本質は無限に拡がるぞ。与えるほどよりよく、神から与えられるぞ。」

私は原書も持っていまして何度も読み返したりしましたので、当然この言葉は読んで知っていたはずなのですが、あまりよく覚えていませんでした。
ですが、今回のTwitterのつぶやきを見て改めてそうだよなーと思ってしまいました。特に資本主義社会が崩壊しようとしている現在にはまさに金言と言えるのではないでしょうか。噛みしめて心に留めたい言葉だと思った次第です。
最近は自然災害が増えたこともあって、ボランティアをする人が昔に比べて随分増えた印象ですが、
こうした行為などはまさにいくら与えても無くなりませんし、逆に自分に与えられるものが多いのではないですかね。
そんな事を考えながら、話しはコロッと変わるのですが先日の天皇即位に関連して政府が行った恩赦の事です。
恩赦の是非について私は考えを持ちませんが、どうせやるなら皆に感謝される様な恩赦にすれば良いのになと思ってニュースを見ていました。
なにも刑事事件関連の罪に限定して考えなくても、例えば多くの若者が借りている奨学金などを一定の条件の下、返さなくても良い様にすればかなりの人に感謝されると思うのですがねえ。つまり「令和の徳政令」といった事です。
政府も皇室も将来ある多くの若者から感謝される事うけおいだと思いますが、そういったアイデアは政治家からは出てきませんね。
現在社会に蔓延している資本主義末期の閉塞感は、多くはお金に関する問題、つまり借金から生まれているのだと、さんざん借金で苦労した私は考えています。
こうした閉塞感をなくして世の中の空気をガラッと変え、社会に活力を生むにはこうした徳政令の様な事であったり、
最近ヨーロッパで盛んに議論されているベーシックインカムであったりを真剣に考えてみる時期に来ているのでは無いかと感じる今日この頃です。

さてさて、何はともあれ美味しいご飯があればそれで幸せ。すてきな一日に乾杯。

◎トンテキ
◎パンプキンサラダ
◎ワカメスープ
 
 
 


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