冷蔵庫に「常備菜」があるということ

7〜8年くらい前だったでしょうか。「常備菜」という料理本がヒットしたことがありました。ヒットしたと書きましたが、その後この本の続編なども発売されているのを見て、自分で勝手にそう思っているだけですが、恐らく料理本カテゴリーの中では当時そこそこ売れたのではないでしょうか。実は私も一冊買って手元においています。
この本の序文に作者の飛田和緖さんが、『常備菜とは、常に食事に備えて作っておくおかずのこと。基本はそのまま食べられること、温め直しや、直前にあえることもありますが、冷蔵庫から出して「はい、どうぞ召し上がれ」と言えるレシピ…』と書かれています。またこんな事も書かれていて、『保存食とはまた別物で、日持ちがするものばかりではありません。…』
ほんとにその通りだと思いますが、その家の冷蔵庫にどんな「常備菜」が用意されているかで、育ってきた文化なり時代なり環境なりがわかってしまうものだなあと、ふと思いつきました。
例えば我が家の場合ですと、私は山間の寒村で育った典型的な田舎もんです。一方家内は大阪の千里ニュータウンで生まれ育った高度経済成長時代の典型的な都会の庶民です。私の母がいつも用意してくれていた常備菜といえば「しその実の炊いたん」であるとか「花山椒の炊いたん」だったりします。いずれも季節毎に周りの野山で採れるものばかりで、非常に素朴な田舎料理です。
一方、家内の母は高度成長期の大阪で、自身も働きながら子育てをされていたせいもあり、何か作り置きをするという習慣がなく、代わりにスーパーや総菜店でそういった惣菜を常に手に入れて食卓にならべる生活だったようです。
これはどちらが良いとかの話しではなく、私も家内も育った環境によって同じ時代でもまったく違う食卓を囲んで大人になったわけで、当然全く違った食文化を持つにいたりました。私はいまだに千切り大根だとかヒジキの五目煮などの常備菜がないと落ち着かない一方で、家内はお肉屋さんで売っているコロッケなどを非常に好みます。するとどうなるかといいますと、手の込んだ常備菜は私以外に「作ってまで食べよう」と思う人はおらず(あれば食べるという意味でもあります)、結果的に食事の準備は私の担当という形に落ち着いてしまいました。
仕事が忙しいときなどは、買い物に行く時間も捻出しずらい事もありますが、そんな時こそ「常備菜」のありがたみが分かるわけで、結局年中なにかしら冷蔵庫に作り置く生活を続けています。二つの仕事を掛け持ちしていることもあり曜日によらず丸々一日休める事は少ないのですが、それでも作ってしまうのはやはり食べることと同時に作ることも好きなんだろうなと自覚する今日この頃です。

さてさて、何はともあれ美味しいご飯があればそれで幸せ。すてきな一日に乾杯。

◎鰻丼
◎ワカメースープ
◎キュウリとワカメとタコの酢の物
 


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