その昔、大阪梅田の百又ビルという雑居ビルの地下一階にバーボンハウスという名前のライブハウスがありました。
私が兵庫県の田舎町から大阪に出てきたのが今を去ること35年前のこと。その頃の大阪では一番メジャーなライブハウスではなかったでしょうか。
まだ田舎の実家にいた頃、毎年大晦日にバーボンハウスでの年越しイベントの模様をテレビで中継していました。
それを見ながら音楽業界と大阪という土地に夢と希望と憧れを感じていました。
あれは確か高校三年生の頃だったと記憶しています。同級生の友達と二人わざわざ大阪まで出てきてそのバーボンハウスへ行きました。
その日はライブの予定はなく、普通のバーとして営業していました。ライブがないので店内は閑散としていましたが、逆にその静かな雰囲気に緊張しながら、おそるおそるバーボンのロックを注文してみました。
当時は今のようにコンプライアンスがどうしたこうしたと面倒くさいことはなく、飲酒や喫煙に関しては随分おおらかでしたので普通に注文を受けてくれました。
我々はカウンターに座っていたのですが、注文したバーボンのロックがまるで映画のワンシーンみたいにすーっとカウンターの上を滑って目の前に来たときの感激は今でもよく覚えています。
そんな事もありながら、高校卒業と同時に憧れの音楽業界で働き始めた訳ですが、(前回記事参照)当時私が担当していた公開録音形式のラジオ番組に出演したアーティストさんが、同じ日にそのままバーボンハウスでライブをする事がよくありました。こちらは収録現場でミニライブを聴いていますし、たいていは仕事が終わってからもう一度そのアーティストさんのライブを見に行こうとは思わないことが多かったです。ですのでそんなに何度もバーボンハウスに行く機会はなかったのですが、一度だけ当時デビューしたてのレベッカの収録が終わったときに、もう一度見たくなり仕事終わりでそのままバーボンハウスまで見に行きました。まだティーンエイジャーだったボーカルのNOKKOさんがキュートで小悪魔みたいで本当に可愛らしかったです。
それから数年後、どうした事情だったかもう忘れてしまいましたがバーボンハウスは閉店してしまいました。
偶然かもしれませんが、このあたりを境目に大阪らしい空気をまとったをミュージシャンが出てこなくなりましたね。
ひとつの時代の変わり目の象徴だったのかもしれません。
せっかくなので、バーボンハウスが大阪の音楽文化を牽引していた時代の大阪を代表するミュージシャンのビデオ張っておきます。
あ、それからレベッカも張っときますね。
さてさて、何はともあれ美味しいご飯があればそれで幸せ。すてきな一日に乾杯。
◎天ぷら(鰯、鶏胸肉、野菜かき揚げ、舞茸、カボチャ)
◎ほうれん草のポン酢和え
◎豆苗のすまし汁
バーボンハウス、懐かしいですね。
ある時、当時の彼女と行った時に、店からタンクトップ(シャツ)を貰いました。
何でくれたのかは忘れましたが、只そのタンクトップは彼女が持って帰りました。
高校生の時にバーボンハウスにアナーキーのライブを見に行きました。一緒にいった友人は早くに逝ってしまいました。もう訪れることもなくなったな、なんて思ってたらお店も無くなってたんですね。掘り下げになってたところなので面影あるかと近所を通ったときに探してみたんですが、分かりませんでした。遠くからも百又、の看板が見えたビルでしたね。