今年も桜の花が咲く季節になりました。
私が暮らす大阪府箕面市もそろそろ満開の声が聞こえてきそうです。
近年は自然災害も多いですが花は毎年変わらず必ず咲いてくれます。ホントにありがたい自然からの贈り物です。
ところで、私の母は大腸ガンで亡くなっているのですがそれに関連して毎年この季節になると思い出すことがあります。
今日はそんな母の思い出話をお話ししたいと思います。
母が亡くなったのは平成十七年の夏でした。母は以前から下血の症状を訴えてたのですが、痔の既往歴があった事や当時の私は母と離れて暮らしていたこともあり、そんな母の訴えを適当に聞き流していました。母も痔が悪化したと思い込んでいたために、気になりながらもずるずると医者に行くことなく過ごしていました。
そしてとうとう意を決して医者に行った時にはすでに手遅れで、末期の大腸ガンと診断され余命一年と言われてしまいました。結果的には、それから二年以上生きて他界しましたが、この時に医者がすすめ、実際に行った治療が、逆に母の気持をくじけさせ日常を辛くさせた事が、苦い思い出として今でも深く心に刺さっています。
それはさておき、その母を入院中一度自宅(実家)に連れ帰った事がありました。
4月の中〜後半頃だったと記憶していますが、その日はとても暖かい日で、しかも晴天。
ずっと病室から出られずにいた母を連れ帰るには最高の日でした。
道路沿いにはまだ桜の花が散らずにかなりの数残っていましたので、車の窓を少し開けてゆっくり目に車を走らせ連れ帰りました。その時に母が車窓からまぶしそうに桜の花を眺めていた姿が今も瞼に焼き付いています。
そうして自宅に到着すると、当時歩くこともままならなくなっていた母を、抱きかかえるようにして自宅にあげ、遠方からこの日のために来てくれていた姉と一緒にベッドに寝かせました。
私は大阪で暮らしていましたので、あとは姉にバトンタッチして大阪に帰る予定でした。
それでベッドの母にいとまを告げに行ったところ、帰らないでくれと泣くのです。
それまで週に一回ほどのペースで大阪から実家のある兵庫県豊岡市まで見舞いに通っていましたが、そんな事は初めてでした。
それでもいつまでも居るわけにもいきませんので、しばらく付き合ってから帰ったのですが、帰路、車を運転しながらホントに後ろ髪を引かれるような複雑な思いを味わいました。
そうしてその年の夏に母は他界致しました。
以来、桜を見るとその時の母の涙や車窓から眩しそうに花を眺める母の痩せた横顔、抱きかかえて自宅にあげたときの母の体温などが思い出されるようになりました。そんな経験をしてからというもの、同じ花を眺めるのでも人それぞれ色々な思いがあることを知りました。
すみません…。長くなってしまいました。今日はちょっとした思い出話を書かせていただきました。
さてさて、何はともあれ美味しいご飯があればそれで幸せ。すてきな一日に乾杯。
◎鶏もも肉のソテー
◎ブロッコリーとトマトのサラダ
◎ワカメスープ