菊一堂の話し_その7「ブラックは当たり前」

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私が菊一堂を含めた飲食業界専業で働いていた頃はバブルの前後でしたから尚更だと思うのですが、
当時の飲食業界は今で言うところのブラック企業ばかりでした。
恐らくブラックではない勤め先を探す方が難しかったろうと思います…。
ていうか、ブラックしかなかったかもしれません。
当時も今も、この業界は常に人手が不足気味ですから時々誰か良い人材はいないかと同業者から紹介を頼まれることがあります。
ある時、同業者からそんな電話がかかってきたんですが、
その時に同業者が付けた条件が、「一日15時間、半年休みなしで働かせても文句を言わなさそうな人紹介して」でした。
さすがにこの条件は当時でもかなりブラックな条件でしたが、それに近い状況で働いている人はいくらでもいました。
例えば、私が菊一堂の副店長になって以降、
つまり残業代が付かない役職になって以降は開店から閉店までの通し勤務は普通でした。
土日はほぼ通し勤務ではなかったでしょうか。

当時の菊一堂の土日営業時間は、朝8時開店の夜10閉店でした。
土日だけは朝食バイキングをやっていましたので普段より2時間早かったんです。
その営業時間で通しとなりますと、朝は6時過ぎ頃に出勤します。
で、夜にレジ締めまで終えて店を閉めるのがだいたい23時過ぎ頃。
ざっくり17時間ほどは店で過ごす計算になります。
ここから通勤時間を差し引いて自宅に帰ってさぁ何時間寝られるでしょうといった話しです。
若かったから何とか翌日も店に出てこられましたが、
50を過ぎた今ではもう翌日の仕事は無理かもしれません。
そういう意味では、今はホントに良い時代になりました。
ただ個人的には、政府が一律に時短を奨励するというのはいかがなものかと思っています。

ところで当時、菊一堂の朝食バイキングは本当に大人気でした。
店舗にもよりますが、私の勤務した4店舗はいずれも大人気でした。
自社工場で手作りされたソーセージ類を中心に、
自慢のパンやスープ、そして卵料理。
パスタ類は今ひとつの出来でしたが、サラダも新鮮でコーヒーも美味しかったです。
私が退社して数年後に菊一堂は残念ながら倒産してしまいましたが、
その話を聞いて、つくづく経営というのは難しいものだなと思いました。

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16 thoughts on “菊一堂の話し_その7「ブラックは当たり前」”

  1. 菊一堂懐かしいです。
    今は亡き祖母と小学生のときに誕生日祝いをしてもらったのが楽しかったのを覚えています。
    また、行きたいと思い検索したところ、こちらに行き着きました。
    倒産したとのことで、残念な思いです。

    1. コメントありがとうございます。そうですか。お誕生日会ですか。どちらのお店でされたのか分かりませんが、当時はよくそういったご予約を頂いていました。特にご予約いただかなくても、当日に誕生日だからと言って頂ければケーキにお名前を書いたりしてお出ししていました。

  2. お返事遅くなりました。
    箕面店に行っていました。
    今はBOOKOFFになってますが二階に行くとこの辺りに座って、ピアノがあの辺にあったのかなど、思い出します。
    今私が43歳なので30年位前ですから、
    お会いしていた可能性はありますね。

  3. 菊一堂!懐かしいですわ。私も働いていましたよ。金剛店、箕面店、岸和田店にもいました!
    多分一緒に働いていたと思います。私よりちょっと年上ですかね?多分。
    誰でしょうか?

    1. その3店舗には私もいました。ただ同じ店で同時に働いていたことは恐らくないのではないでしょうか。それにしても随分昔の話しになりましたね。

  4. その1からその7まで全て読ませていただきました。
    もう40年近く前の話ですが、当時は帝塚山、上野芝、豊中、北助松などにレストランがあり、大阪の有名デパートのあちらこちらで洋菓子を販売されてましたね。
    今でもマラスキーノを使ったショートケーキ、食べ応えのあるパウンドケーキ、そしてこれぞ最高の洋菓子と今でも思っているボンビバー、どれももう一度食べたいですわ~笑。

    続編も(「その8」)楽しみにしております、笑。

    1. コメントありがとうございます。そうですね。ボンビバーは本当によく出来た商品でした。菊一堂は、物販部門と製造部門だけでもレストランと切り離して残せなかったのかと今でも思います。そのあたりの事も含めた続編も機会があれば書いてみたいと思います。また時々読みに来てやって下さい。

  5. 是非お願い致します、笑。

    商品のラインナップ編及びスタッフいろいろ編等々カテゴリー別のものなど楽しみにしております!

  6. 昔30年以上前、菊一堂へはレジの導入で、仕事で行きました。
    単品管理をしたいとのことで、当時は最先端のposレジを設置しました。
    ケーキにバーコードを付けるのでなく、商品のバーコード表を作成して渡してました。
    メニューが増える度にバーコードのメンテナンスが必要で大変でした。
    菊一堂のシステム責任者の方と豊中か吹田の店で打ち合わせをしてました。
    私の勤めてたレジの会社もバブル崩壊とともに倒産しましたのでその後どうなったかは知りませんが。
    それでも今思えば懐かしく思います。

    1. コメントありがとうございます。そうですか。懐かしいですね。私が菊一堂に入社してすぐ位のタイミングでPOSが導入されました。当時はパソコンもまだまだ普及していない時代でしたので、我々も覚えるのが大変でした。導入当初はデータがうまく送信されないなど色々トラブルもあったりして思い出深いです。バーコード表覚えていますよ。主にケーキ売り場の方で使っていました。
      是非当ブログごひいきによろしくお願いします。

  7. 今、思い出してもとても美味しいものばかりでした。フリアン、ボンビバー、三枚肉のシチュー。ミルドレッセ。良き思い出です。

    1. ミルドレッセですか。よく覚えていらっしゃいましたね。私が菊一堂に入ったときにレストランの一番人気のメニューとして販売していた料理でした。ただ、洋食のコックとして入社した私には、レストランの方はなんとも中途半端なメニューばかり。申し訳ありませんが、ミルドレッセもそんなメニューの一つでした。これでは面白くないし勉強にもならないと思い結局厨房から出て店のマネージメントの方に行くことになりました。菊一堂はレストランをやらなければ今でも洋菓子の一級品を売るお店として残っていたのではと残念に思います。

  8. 思い出しました!
    ハンバーグが美味しかったなあ〜……
    あと、カイラーセンのハム・ソーセージ!
    今や当たり前のポメリーのマスタードもワタシの記憶では菊一堂で食べたのが日本で初めてたったと記憶してます(^o^)

    1. そうですね。確かにフランス産の辛くないマスタードは当時日本ではあまりなじみの無い食べ物でした。そんな風に食材も含めた「文化」を菊一堂は売りにしていた会社でした。それは受け入れられれば爆発的に人気を呼びますし、ひとたび飽きられれば潮が引くように見捨てられる。そんな危うさを常に抱えている会社だったように思います。

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