「出石そば」が一風変わっているというのを知らずに育ち

何度か書いていますが、私の故郷は兵庫県豊岡市出石町という古い城下町です。平成の大合併で豊岡市になるまでは出石郡出石町だったのですが、江戸時代に5万石以上あった城下町で明治以降に「市」にならなかった町は大変珍しいという事をかつて聞きました。
いわゆる「小京都」と呼ばれる中々風情のある町並みで、今では兵庫県北部地域の代表的な観光地にもなっています。
〈こちらに観光協会のリンク貼っときます〉
町のシンボルがこの時計台で、その周りにはかつてのお堀の跡が少しだけ残っていまして、鯉などが泳いでいます。

↓こちらが「辰鼓楼(しんころう)」と呼ばれる時計台


そんな田舎町の最大の名物となっているのが皿そばと呼ばれる独特の提供方法で供される「出石そば」です。
直径10センチほどの小皿にちょこんと盛られた冷たいお蕎麦なんですが、一応5皿で一人前と言うことになっていますが、ほとんどの方は5皿では足りないので追加で注文することになります。
追加は一皿単位でできまして、合計20皿以上食べると「蕎麦通の証」という通行手形の様な記念品をくれる店があったりします。
私は高校を卒業して大阪に働きに出てそのまま今でも大阪で暮らしていますが、実は大阪に出てくるまで温かい掛け蕎麦などは一度も食べたことがありませんでしたし見たこともありませんでした。蕎麦というのは全部出石蕎麦の様にお皿に小分けされて供される物だと思っていました。
ホンマかいなと思われそうですが、本当にホントです。
昭和40年代50年代というのは外食などはまだまだ一般的ではありませんでしたし、ましてや山間の田舎町ですから情報も入ってきません。
町にはラーメン屋っぽい食堂が2軒ほどと、仕出屋が2軒ほど。あと寿司屋の様な飲み屋のようなそんなお店が数軒と、皿で提供する出石蕎麦しか置いていない蕎麦屋が3軒しかありませんでした。(今では蕎麦屋さんは40軒近くあります)
そんなわけで、時々テレビドラマなどで熱い汁蕎麦をすすっている映像を見て「蕎麦みたいなうどんだなぁ」と思っていたくらいです。

こんな風に小さなお皿に入っています→

そんな田舎者が大阪で暮らし始めて一番食べたいなと思ったのが駅の近くにある立ち食い蕎麦でした。
私にとっては温蕎麦というだけでも未知の食べ物ですし、立ち食いという食べ方にもそそられたのですが中々お店に入る勇気が出ず、結局お店に入るのに半年くらいはかかったような気がします。確か阪急宝塚線の豊中駅近くにある「都蕎麦」という立ち食い蕎麦屋さんだったと記憶しています。
実際にお店に入って食べた蕎麦の味はあまり記憶に残っていません。ただそんな風に立ち食い蕎麦を食べている、その事自体がすごくうれしかったことを昨日のように覚えています。18歳の田舎者のささやかな思い出です。

さてさて、何はともあれ美味しいご飯があればそれで幸せ。すてきな一日に乾杯。

◎ミックスフライ(エビ、ささみ、鰯
◎ポテトサラダ&グリーンサラダ
◎ワカメスープ

 


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