思えば家族のことなど何も知らずに歳を取り…そして思い出す祖父の蒲焼き

私は田舎の大家族の中で育ちました。私が小学生の頃は両親と姉と兄、それに祖父母と曾祖母も含めた8人家族でした。
それが今では私と姉以外全て鬼籍に入ってしまいました。郷里の実家は空き家になっているので私が二ヶ月に一回程度風を通しに帰っています。
不思議なもので、誰も居ない実家に一歩足を踏み入れると、かつてそこで暮らしていた頃と同じように家の奥から「おかえり」という声が聞こえるような気がして、こちらも思わず大きな声で「ただいま」と言ってしまいます。そうして居ないはずの家族と何かしら会話をしながら窓や襖を一つ一つ開けていきます。
他人に見られたらちょっと変なおじさんに見えるでしょうが、自分では自然な感じで空き家とそこにかつて暮らした家族達と会話をしています。
そうしてひとしきり風を通したら広い空き家でつかの間感傷に浸ります。その際いつも思う事は「ああ、私は本当に父や母、祖父や祖母のことを何も知らずに歳を取ってしまったな」という事です。今から祖父に昔話をしてもらおうにも、母に秘伝のレシピを聞こうにも、もうすでにどうすることも出来ません。
ただ、一緒にそこで過ごした頃の出来事を思い出すことは出来ます。先日実家に帰ったときに思い出したのは、祖父が作ってくれた「ナマズの蒲焼き」の事でした。


私が子供の頃は、外遊びと言えばイコール川遊びだったので、本当に毎日の様に近くの川で魚を捕って遊んでいました。中でもナマズが捕れたときはかなり嬉しくてすぐに自宅に飛んで帰って親に自慢したものです。当時の田舎では、ナマズといえばどこの家でも貴重なタンパク源でそれぞれの家庭で色々な料理があるようでした。我が家では圧倒的に「蒲焼き」で、なぜかいつも祖父が作ってくれました。私はいつもそれを横でじっと見ているのが好きでした。
まず生きているナマズを頭の部分から出刃包丁で真っ二つに割るところから料理が始まり、器用にお腹から割いて中骨を取り出し、それを炭火で焼きます。
焼けた中骨を、今度は蒲焼きのタレの中にジュッと放り込みます。タレは祖父が酒や醤油、味醂などで適当に作っていたようです。
ナマズの骨の炭火焼きが入ったタレを一度沸かして、これでタレの完成です。
続いて、ウナギと同じような感じに切りそろえたナマズの身を、これも同じく炭火で香ばしく焼き、時々先ほどのタレにジュッと漬けたりしながら香ばしく仕上げていきます。
それを温かいご飯の上にのせて鰻丼ならぬ鯰丼にして食べるのですが、本当にウナギと遜色の無い美味しい丼になります。
近年、ウナギの値段が上がってきてナマズをウナギの代用品にするニュースがテレビなどで流れますが、恐らく黙って出したら誰もウナギと区別が付かないのではないでしょうか。それくらいナマズは美味しい魚です。
実は子供の頃、祖父がそんな風に料理をすることに何の疑問も感じなかったのですが、明治生まれの祖父の年代はまさに男子厨房に入らずの世代で、料理が普通に出来てしまうことはかなり珍しかった事に、後年気付きました。
それで姉にその事を言いましたら、「えっ、知らんかったん?」という顔をされて教えてもらった事実は、祖父がまだ二十歳になるかならないかの頃に祖父の母親が亡くなったので、必要に迫られて出来るようになったとの事でした。
そう言えば、祖父の若い頃の話しなんて、私はほとんど知りません。祖父も非常に寡黙な人で、普段の会話の中から昔の話しが出ることはあまりありませんでした。ただ、得意の蒲焼きの味だけは、今でも祖父が料理する姿とともに心の中にしっかりと残っています。

さてさて、何はともあれ美味しいご飯があればそれで幸せ。すてきな一日に乾杯。

◎手作りシュウマイ
◎ワカメースープ
◎小松菜とカニかまのわさび和え
 


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