「自己紹介」でも少し触れていますが、私が学校を出て初めて働いた職場は大阪の某放送局でした。時代は1980年代が始まったばかりの頃。当時は今のようにネットがメディアとして登場する随分前ですから、メディアの王様と言えば文句なくテレビやラジオだったと思います。
その頃の放送局はすでに人気の就職先になっており、有名大学を卒業していないとなかなか採用してもらえない会社になっていましたが、それは新卒に限っての話しで、能力のある制作者に対しては、中途採用もしていました。フリーや小さな制作会社で働くスタッフが時々放送局の正社員として雇ってもらうのを何度か目にした思い出があります。
これが1960年代頃まで遡ると、放送局に大学の新卒で就職するというのは、はっきり言って変わり者のすることで、そんなヤクザな業界で働くというのは逆に親不孝者のすることだったろうと思います。
つまりそれくらい、芸能界とヤクザ社会は切っても切れない関係でそんな事は業界で働く人間は誰でも知っている事でした。
当時私が働いていた放送局に大変やり手のテレビプロデューサーがいらっしゃいまして、次々と革新的なヒット番組を手がけていらっしゃいました。
実はこのプロデューサーは、元々喧嘩が強い事を買われて入社したという伝説の持ち主で、つまり放送局はそういう場所だったという事です。
今でも芸能人が大麻や覚醒剤で頻繁に逮捕されますが、当時は芸能人に限らず業界のスタッフにも薬で逮捕される人は多かったです。
そうした事もあるからでしょうか、気がつけば放送局や芸能界はやたらと「コンプライアンス」を気にするようになってしまいました。
先日、吉本芸人の闇営業が問題になっていましたが私が放送局にいた頃は、芸人さんで闇営業をしていない人を探す方が難しかったのではないでしょうか。
ですので、当時は「闇営業」という言葉を使う事はなくて、皆単なる「営業」と呼んでいました。もしくは「直営業」です。
私も実際に事務所を通さずに吉本の若手芸人さんに現場に来ていただいた事が何度もありましたし、当時の吉本はそれをある程度見て見ぬふりをしていました。
当時「直営業」で来ていただいた芸人さんで、現在そこそこ大物になっている方も複数いらっしゃいます。
今回はたまたま営業に行った先に暴力団がらみの人達がいたことが問題になった様ですが、これは芸人さんには防ぎようがない事です。
ところで、番組制作の現場には時々放送局の営業担当社員が収録を見に来ることがあります。
一人で来ることもあればスポンサー企業の担当者を連れてくることもあります。この時の営業担当のスポンサーに対する気の使い様は相当なものでして、
現場はまさに「忖度」のオンパレードになります。
私はそうした空気を現場でいつも嫌だなと思っていました。これが行き過ぎると現場の進行に支障が出ることがあるのですが、若いディレクターなどは何も言えずに馬鹿な忖度に付き合わされる事になります。
結果的に番組はつまらなくなるのですが、こういった忖度圧力にたいして上記のプロデューサーはギロリと一瞥くれるだけでスポンサーを黙らせてしまう迫力がありました。ですので、この人の下で働くディレクター達は自由に面白いことが出来たんだろうと思います。
私は後年たまたまこのプロデューサーの方とお話しする機会がありまして、当時の事や業界の事を色々伺ったのですが、迫力のある眼光は健在でしたし、クリエイティブに対する情熱と信念はさすがだなと思いました。
まあそれはともかく最近の芸能界に関するニュースを見聞きするにつけ、上に立つ人達が皆サラリーマンになってしまったんだなと思います。
最後に、喜劇役者の藤山直美さんがテレビの対談番組で話されていた話しで今日の話題を締めくくりたいと思います。
「普通の人目の前に出されて何か面白い?お金払おと思う?」
さてさて、何はともあれ美味しいご飯があればそれで幸せ。すてきな一日に乾杯。
◎ハモ鍋
◎枝豆