Sさんの思い出

私がフリーのDTPオペレーターとして活動し始めた頃(自己紹介はこちら)大変お世話になったのがグラフィックデザイナーのSさんでした。Sさんは元々自分でデザイン事務所を経営されてたのですが、バブル崩壊の荒波を乗り越えられず当時は大阪北部地域で配布されている某タウン誌発行会社の編集部に所属されていました。そこで初めてお会いしてその後しばらくご縁が続きました。
きっかけは当時私と事務所をシェアしていた同業者がそのタウン誌に営業に行くから一緒に行こうと誘われた事でした。ところが連れて行ってくれた同業者はそのタウン誌と何となく馬が合わなかったようで、ついて行った私の方にその後仕事の話しが来るようになりました。連れて行ってくれた同業者に申し訳ないなと思いながら、独立したてで仕事の安定しない状況では願ってもない得意先となりました。
今では考えられないことですが、当時はMacを使って印刷物のデータを作るDTPという仕事の草創期で、Macを全く使う事の出来ないデザイナーさんは山ほどいました。Sさんもその一人でしたが、今後はデザイン業務もDTPが主流になるという事は分かっていて私の様な未熟な業者でも興味を示して下さいました。
実際の仕事はというと、Sさんが手書きのサムネイルを用意していて私がそれを元にデータを作成するというものでした。ひょんな事からDTPの仕事を始めた私は、いわゆるデザインの勉強など全くしたことがありません。まして文字組とか写植の知識などはゼロに近く、本当によくあんなレベルで営業に回っていたものだと今では思います。そんな私のレベルを分かっていたSさんは、いつも私が作るデータを丁寧に添削して下さいました。
これも今では考えられないことですが、当時はMacを従来の写植機の代わりに使っている所がほとんどで、フルDTPでそのままデータ入稿から出力・印刷といった流れはまだ出来上がっていませんでした。Sさんの編集部もそうで、私が作ったものをプリントアウトして編集部に持って行くかファックスを入れ、そこにSさんが赤ペンを入れ、最終的にプリントアウトされた原稿を従来の様に切り貼りで版下に仕上げて印刷会社に渡す流れでした。
この時にSさんに入れて頂く赤ペンがデザイン素人の私には大変勉強になり、その後の仕事に大いにプラスになりました。あの時にSさんと知り合って指導していただいていなければその後20年以上もDTPの仕事を続けることは無理だったろうと思います。
残念ならが、Sさんはその後体を壊され会社も辞め、それから程なくして亡くなりました。
亡くなる数週間ほど前だったでしょうか。突然本当に久しぶりにSさんから電話があり、あれこれたわいのない話しをしたのが最後になりました。

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