資本主義の次にくる世界を夢想すると

今我々は資本主義社会のただ中で暮らしているのですが、アメリカを見るまでも無く格差の広がりは止めようもない感じです。
これは以前にも書いたことですが、我々が信じてきた資本主義はその始まりのごく一時期にだけ多くの人に希望と夢を与え、それを過ぎると極端な富の偏在を生みそれがピークに達した頃に終わりを迎えるのだと思います。
そしてその時期はもうそう遠くないと感じている人も多いのではないでしょうか。
ではその次に来る社会はどんな社会になるのか…。もちろんそんな事は誰にも分からないのですが、少なくとも過度な「競争」や「勝ち負け」からは解放される穏やかな社会であって欲しいと願っています。
例えば、私は兵庫県の山間の寒村で育ちましたが、少なくとも40年ほど前の私の村では「水はタダ」でした。
どこの家にも井戸があって、自家で使う飲料水はすべてその井戸水で事足りていましたから誰も水道代を払っていなかったと思います。
それがいつの頃からか、村の一角に水道施設の様な建物が出来まして各家庭に水道水が供給され始めました。
そうして気がついたら「井戸水」は衛生上の問題があるからという理由で全て水道水へと切り替えられてしまいました。
衛生上問題があるなら、とうの昔に村の人は全滅してたろうにと思いますが、とにかくそうなりました。
村の人達は、塩素入りの不味い水を飲まされたあげくにお金まで徴収される事になりました。
こんなこともありました。村の各家庭には町から無料で提供されている、皆が「ゆうせん」と呼ぶ電話がありました。
見た目は黒電話の様な見た目で、町内ならどこでも無料で通話が出来るほかスピーカーからは定期的に町役場からのお知らせが流れてきました。
さらには歌謡曲や童謡などの音楽番組があったり、役場の担当者が小学校などを訪れて子供の歌を録音して流してくれたりするミニ放送局の様なものでした。
一般の電話にも交換台を通じて繋ぐことも出来ていましたので、今から考えると本当に便利でありがたいものでした。
しかしこれも各家庭に電話が普及したことと維持管理に費用が掛かることなどもあり廃止されてしまいました。
村の人達はさらに電話代という出費もかかえることとなったわけです。
皆お金が掛かるのは嫌だなと思いながらも、それが時代の流れでもありましたから深く考えず受け入れたんですね。
そうしてジワジワと暮らしにお金が必要な社会が形成されていくと、私の田舎ではもう以前の様に畑や田んぼを耕しながら時々少しの現金収入を得る仕事をしてのんびり暮らすといった事が不可能になってしまいました。
私が子供の頃は、普段は定職に就かずに野良仕事に精を出し時々どこかの工事現場に出かけていって現金を持ち帰るといった家庭が結構ありました。
もちろん、その程度の現金で十分に暮らせたから出来たことです。
そんな事を思い出しながら、今のように何をするにもお金のかかる世の中と、
昔の田舎の様に少し不便だったり面倒だったりするけれど、その気になればほとんど自給自足出来る環境と、どっちが幸せかなと思ってしまいます。
新しいスマホや車にお金を使うのも楽しいでしょうが、お金から離れた暮らしもまた楽しい…。
資本主義の次に出現する社会は、現代の便利さや清潔さを維持しながらも、かつてのおおらかさを取り戻す世の中になってほしいと思います。
そのためには、我々はもう少し大人になってあらゆる「欲望」とうまく付き合っていく必要があるのでしょうね。

さてさて、何はともあれ美味しいご飯があればそれで幸せ。すてきな一日に乾杯。

◎中華風海鮮焼きそば
◎ワカメスープ
 
 
 


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